大賢に学ぶ「韓国人を論破する」方法

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日本人は韓国の皆さんから「韓国は日本に文化を与えてやった。なぜ感謝しない。恩義を感じなければならない」などと論難を受けることがあります。いまだに。

日本人からすれば「何年前の話なんだ」と呆れるしかないのですが、このようなとき、どのように返せばいいのでしょうか。

引用ばかりして大変に恐縮なのですが、大賢・古田博司先生が韓国人から吹っ掛けられた「議論」にどのように答えたのか――がとても参考になります。

以下に、古田先生と文さんの議論の部分を引用します。

(前略)
とにかく、東アジアの文明はすごい。漢字と箸という文化を共有している。如何に」と来る。

筆者は、
西欧がアルファベットとフォークを共有するがごとし。全然すごくない」と応える。

日本人は朝鮮から漢字を伝えられた。百済の王仁博士を想起せよ。しかるに日本人は、なぜ韓国人に感謝せぬのか。恩知らずである。如何に」と重ねて攻めてくる。

筆者は、
「諸君はインド人からカレーをもらって食っているが、インド人に感謝したかね。文化の伝播とはかくの如きものである。如何に」と答える。

文さんは業を煮やし、
「ええぃ、鎮まれ、鎮まれ。とにかく韓国は、日本に儒教という精神文明を教えた。如何に」と来る。

残念ながら教わらなかった。ちょん髷という辮髪をし、沓のような烏帽子をかぶり、チャンバラ三昧。火葬はするわ、混浴はするわ、四寸(四親等)と結婚できる。そのような衣冠無視と儒礼薄俗の国が儒教の国といえるかね。日本が儒教を受容しなかったこと、かくの如し。如何に。説破」と、こちらは応える。
(後略)

⇒参照・引用元:『東アジアの思想風景』著:古田博司,岩波書店,1988年07月24日第1刷発行,p58

「東アジアの国は漢字と箸を共有している。同じ文明圏なのだ」という論がありますが、とんでもない話で、ウラを返せば「漢字と箸以外に何もないんじゃないの」です。

古田先生のおっしゃるとおり、全然すごくないのではないでしょうか。

また「儒教の文化が……」なんて話もありますが、これも違います。古田先生がまさにご専門ですが、日本人は儒教を受容しませんでした。日本人は自身の感性に合わないものはどんどん漂白してしまうのです。

ですから、同じ儒教の国なんて論はおかしいですし、儒教が根本にあっていまだに大きな影響力を持つ韓国と日本の話が合うわけがないのです。

読者の皆さまも論難されたら、ぜひ古田先生の「返し」を参考にしてください。

(吉田ハンチング@dcp)

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