あくまで「かつてあったこと」ですが、現在にまで通じる話ですのでご紹介します。
韓国には北朝鮮の工作が浸透しており、尹錫悦(ユン・ソギョル)政権は今になってなんとか刈り取ろうとしていますが、根が深いので困難です。
日本も浸透工作を受けており、知識人、進歩系などと呼ばれる人の中に今でも北朝鮮を擁護する人がいらっしゃいます。
現在の若い読者の皆さんからすると、なぜ北朝鮮のような人権も自由もない、中世王朝国家のような北朝鮮を擁護する人が日本にいるのか、全く不合理で分からないでしょう。
不幸なことに日本では「北朝鮮を賛美する勢力」が支持された時期があったのです。北朝鮮を地上の楽園としてもてはやし、そのため多くの人が犠牲になりました。
「地上の楽園」は全部ウソでした。
今では、さすがに北朝鮮を「地上の楽園」などともてはやす人はいませんが、それでもいまだに隙あらば北朝鮮を擁護します。なぜそのような人がいるかというと、「日本人に北朝鮮を支持させろ」という司令が北朝鮮から出て、その工作が日本で行われ――結果、北朝鮮を支持する人がつくられた――という経緯があります(もちろん自主的に支持するようになった人もいます)。
かつて刊行された本をひもとくと、そのような工作が露骨に暴かれています。
例えば『徐勝 『英雄』にされた北朝鮮のスパイ』から一部を引いてみます。
七四年十月、金日成の長男・金正日は、労働党政治局会議でのクーデターで父の弟・金英柱を蹴落として北の全権を掌握した。
そして彼は、七七年一月、初めて総聯に宛てた指示書で、きわめて具体的に秘密工作を命じている。
その文書の正式名称は「英明な指導者金正日同志のお言葉を貫徹するための一九七七年度総聯の事業方針」。
「お言葉」とは、七六年十一月十一日のものである。
「首領様が最も深慮される祖国党一事業にすべての力を回すこと」と題された章の内容はあまりに露骨である。
「(日本における韓国マスコミの)特派記者二名の買収工作を行うこと」
「政界の上層部との事業を進め、保守系の大物の一、二名工作すること」
「小田実のような人物を二、三名工作獲得すること」
これらの「教示」と「お言葉」がどの程度忠実に実行されたのかどうか定かではないが、それを境に、韓国で日本ルートの対南工作事件が増加するのは事実である。
(中略)
総聯という団体が、隣国・韓国に決死の工作員を突入させるための秘密基地であることが、おわかりいただけただろうか。自分自身、総聯の活動家であった私が言うのだから間違いない。
私も当時は工作を強制され、新潟港に立ち寄る韓国船の船員をオルグさせられていたのだ。
総聯に籍を置く者は、その役職や、本人の望む望まざるにかかわらず、全員が対南工作員としての裏の顔を持たされていたのだ。
そんな闇にまぎれた謀略工作の強要につくづく嫌になった私は、七八年、ついに総聯の方針に楯突いた。
(後略)⇒参照・引用元:『徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち』著:張明秀,宝島社,1994年12月10日 初版発行,p93
金正日が分からない若い読者がいらっしゃるかもしれませんが、現在の金正恩総書記の父親です。
オルグというのは、「主に左派系団体・政党が組織拡大のために、組織拡充などのために上部機関から現地派遣されて労働者・学生など大衆に対する宣伝・勧誘活動で構成員にしようとする行為、又はその勧誘者を指す」と説明されます(Wikipediaによる)。
この本の著者である張明秀さんは自身も『朝鮮総聯』に籍を置き、北朝鮮への帰国事業に携わっていた※のですが、1988年に同団体を批判し、全ての役職から離れた――という人です。
※1977~1983年に総聯新潟本部副委員長を務める。
張明秀さんは、上掲のとおり「日本で韓国人を仲間にして、韓国での工作に役立てる」という意味での「日本ルートでの対南工作」を述べていらっしゃいますが、興味深いのは1976年の指令に「政界の上層部との事業を進め、保守系の大物の一、二名工作すること」とあることです。
この工作が後に「(社会党経由で)政界のドンといわれた金丸信を釣り上げる」という驚くような成果を挙げたからです。
また、「小田実のような人物を二、三名工作獲得すること」も大変に興味深い指令です。若い読者の皆さんは「小田実」と聞いても誰それ?と思われるでしょう。
当時、若い世代に支持されていた作家で、北朝鮮に招かれて北朝鮮を賛美するかのような本を著し、これにだまされた人が多く出ました。この指令を見る限り、小田実先生は大変に北朝鮮の役に立ったようです。
昔の話と一笑に付すのは簡単ですが、さあ現在は大丈夫なのでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)