ロシアは旧ソ連が崩壊してできた国です。共産党一党独裁体制が崩壊したはずなのに、なぜかいまだにプーチン大統領がまるでツァーリのように君臨しています。
また、国が経済的な困難にさらされるとトップは非難されそうなものですが、プーチン大統領の場合、なぜか支持が厚くなるという不思議な現象が見られたりします。
なぜプーチン大統領はロシアでかくも支持が厚いのでしょうか? もしかしたらその理油はロシア人の心情に根ざす「超人待望」にあるのかもしれません。
以下にロシア人の超人待望について指摘した御大の文章を引用します。
「我らの土地は豊かで広いが…秩序がない。来りて君臨し、よろしく我らを統治せよ」
『ロシア年代記』(九世紀の史書)(中略)
国民性
民族性(国民性)という言葉は地理と同じ意味を持っている。どんな民族も、国土が地球の表面に占める位置、自然条件、気候風土などの要素によってその性質を形造られる。「忍耐」や「耐乏」といった言葉で表現されるロシア人を作り上げたのも、そうした人間にはどうにもできない鋳型だった。彼らにとって不幸だったのは、その鋳型が恐るべき試練を人間に与えるように鋳造されていたこと。母なるロシアには、冬と「冬でない」季節しか存在していなかったのである。
こうした自然条件の厳しさは、ロシア語で「年」と「夏」を表す言葉(リュータ)が同じであることからも推測できる。ロシア人にとって冬でない時期とは、それほど貴重なものなのだ。冬になれば、あとは次の「リュータ」が来るまで耐えるしかないのだから。
超人待望論
当然、人間がこうした厳しい環境で生き残るには、相互に助け合うことのできる組織、社会を作る必要がある。そして、この地に成り立つ社会は非常に厳しい秩序で維持されなければならない。そうでなければ、システムが自然条件の厳しさに耐えられないのだ。ツァーリの専制や共産党の悪夢のような支配体制がこの土地で生まれ、長期にわたって存続するのはこれが原因である。なぜならば、どんな秩序でも、ロシアの大地に裸で投げ出されるよりマシだからだ。そこは、秩序がなければ生きていけない環境なのだから……。
必然ということなのだ。
ただし、この必然性が成立するためには、一つの要素がある。
生身の人間が持つ自然な欲求の大部分を抑えつける秩序を建設することのできる人並みはずれた能力を持つ個人だ。
ロシア人がその心根に深く抱いている超人を待ち望む願望は、右のような必然から発生している。この項目の冒頭にある『ロシア年代記』からの言葉は、そうした願望がよほど古い時代から存在していたことを証明している。イワン雷帝、ピョートル大帝…そしてスターリンに至る鉄の超人たちの系譜は、ロシア人の願望が招いたものだったのだ。
(後略)⇒参照・引用元:『主砲発射準備よし!』(佐藤大輔,徳間書店,1993年)pp274-275
※強調文字は筆者による
そういえば、プーチン大統領は上半身裸でウマに乗ったり、戦闘機のコクピットに座ったりなど、なんでもできるスーパーマンめいた写真が多いことでも知られています。
これはロシアの人たちの持つ「超人待望」に訴えかけようとしているから、なのかもしれません。
(高橋モータース@dcp)