冒頭でお断りしておきますが、筆者が言っているのではありません。韓国メディア『朝鮮日報』の社説です。
書き手は「イ・ヨンジュン元外交部北核大使」なので、それなりに説得力はあります。
ロシアがウクライナに無法に侵攻し、世界中が大変なことになっているのにここまで関心がないというのはどういうことなのか――と嘆いているのです。
読者の皆さまもすでにご存じのことでしょうが、先にウクライナのゼレンスキー大統領が韓国の国会でオンライン演説を行いましたが、国会議員は50人ほどしか参加しませんでした(韓国国会の定数は300人)。
聴衆の席がすっかすかだったのでその写真が日本メディアでも報道されたほどです。後で、「海外メディアでも、その恥ずかしいすっかすかの状況が報道された」と韓国メディアでも批判記事が出ました。
韓国の国会議員の言い訳は「オンラインで見ていた」というものでした。
同紙の記事はこんなことでいいのか――と嘆いており、今回のロシアの起こした無法な戦争の教訓は2つあるとしています。
①自衛力を備えなければならないこと
②有事の際に共に戦う同盟国、友邦国が必要であること
特に②について嘆いています。『朝鮮日報』の記事から一部を以下に引用してみます。
今、韓国は弱小国でも開発途上国でもなく、経済力でも軍事力でも先進国のとば口に来ている。
しかし、先進国の玄関口は、そのようなハードウェアだけで通過できる場所ではない。
先進国になるには、経済力と軍事力に加え、それなりの一貫した価値観と世界観を持って国際社会で声を出さなければならず、価値観を共有する国々と行動を共にして汗も血も一緒に流す準備ができていなければならない。
しかし、韓国政府と国民の視線は70年目、朝鮮半島という狭い井戸に閉じ込められており、井戸の外の世界に対する真の関心も愛情もない。
そんな「井の中の蛙」的な世界観が生み出した「私一人で外交」をもうやめなければならない時だ。
韓国は70年前に国際社会の助けを借りて国を守り、今も同盟国の助けを借りて安保を維持し、繁栄を謳歌する国である。
(後略)⇒参照・引用元:『朝鮮日報』「克服すべき「井戸の中のカエル」外交」
「70年前に国際社会の助けを借りて国を守り」と書いているのは、1950年に起こった朝鮮戦争のことです。06月25日未明、ソ連スターリン書記長の承認を受けて、金日成の北朝鮮軍が南朝鮮に侵攻しました。後に中国共産党の人民解放軍が義勇軍の体で参戦。
この戦争は現在も休戦中で終わってはいません。
記事の書き手であるイ・ヨンジュン元外交部北核大使は、韓国政府と国民は井の中の蛙で、外の世界に対する真の関心も愛情もないと指摘しています。
しかし、韓国に必要なのは「外の世界に対する真の関心と愛情」ではなく、自分たちの国が「自由主義陣営国に属していたい」「韓国は自由主義陣営国である」という強い信念ではないでしょうか。
中国やロシア、北朝鮮のような「民主集中制」(民主主義的中央集権主義による統治制度:独裁者・一党独裁制を許容する自由民主主義のまがい物)の国々とは相容れないという信念がそもそも見えません。
憲法に記載されている「自由民主主義」から自由という文字を削ろうとするような大統領を選ぶような国になっています(文在寅大統領のことです:念のため)。
その時々で、自由主義陣営国とまがいもの民主主義の国に対していい顔し、どちらにつけば自分にとって得なのかだけを考えて右往左往する。
そのようないい加減な、自分の立ち位置もしっかりしない、信念を持たない、軸のぶれる国が「外の世界に対する真の関心と愛情」など抱くわけがありません。
イさんの言うとおり、韓国が「外の世界に対する真の関心と愛情を持たない」のであれば、それは自国のアイデンティティーを持たないからです。
自分が何者か判然としないから「共感を抱くべき他国」も見いだせないのです。
中島みゆきさんの歌にこういう歌詞があるのです。
道の彼方にみかけるものは すべて獲物か泥棒ですか
⇒引用元:『友情』作詞・作曲:中島みゆき
「すべて獲物か泥棒」と考えていると「虎狼のような国」といわれます。
(柏ケミカル@dcp)