ハメルの名を消しても「朝鮮人はうそつき」という記録は消せない。

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韓国メディア『中央日報』が面白い記事を出しています。

『朝鮮人は嘘が上手い』…ハメルの名前、欧州学術賞から除外」というタイトルです。以下に同記事から一部を引きます。

『ハーメル漂流記』(日本名『朝鮮幽囚記』)に朝鮮人に対する否定的な記述を残したヘンドリック・ハメル(1630~1692年)の名前が欧州韓国学界の代表的な学術賞の名称から除外される。

20日(現地時間)、英国エディンバラで開かれた欧州韓国学会(AKSE)総会では、従来の「ヘンドリック・ハメル賞」の名称を「AKSE賞」に変更する案件が表決を通じて通過した。

ハメル氏はオランダ東インド会社所属の会計士兼書記で、商船に乗って日本に向かう途中、船が難破して済州島(チェジュド)に漂着した。13年間朝鮮に抑留されて脱出した後、経験をもとに報告書を作成した。

この報告書は欧州各国で出版されて大きな反響を呼び、韓国では『ハメル漂流記』というタイトルで広く知られた。該当記述には「朝鮮人は物を盗んで嘘をつき欺く傾向が強い」というような内容が記されている。
(後略)

⇒参照・引用元:『中央日報(日本語版)』「『朝鮮人は嘘が上手い』…ハメルの名前、欧州学術賞から除外」

『欧州韓国学会』が、これまで「ヘンドリック・ハメル賞」としてきた賞の名称を「AKSE賞」に変更した――という話ですが、これは極めて政治的(かつ姑息)な動きです。

李氏朝鮮時代に13年間も幽閉されたハメルさん

Hendrick Hamel(ヘンドリック・ハメル)さんというのは『朝鮮幽囚記』を書いた人です。

17世紀を生きたオランダ人であり、何の因果か朝鮮に漂着して13年間も幽閉されました。

1653年08月16日、台湾から日本の長崎へ向かっていたオランダ東インド会社の貿易船「デ・スペルウェル号」は暴風のため済州島に漂着。

漂着した場所は鎖国政策をとっていた李氏朝鮮でした。

乗組員64人のうち、生きのびた36人は地元、大静県の役人たちに拘束されました。ひどい目に遭いながらも1666年の時点で16人が生き残っていました。

同年08月、ハメルさんは7人の仲間と共に小舟で朝鮮を脱出。

逃げ込んだ先は「航海の目的地だった日本」でした。

2日後になんとか五島列島に着いて、五島藩から長崎奉行に身柄が渡され、偽装した宣教師ではあるまいな――と取り調べを受けましたが――身柄はオランダ商館に引き渡しされました。

――で、ハメルさんがオランダ領東インド総督(および17人委員会)に上げ――出版されたのが『朝鮮幽囚記』です。

13年も虜囚というひどい目に遭いましたが、それでもハメルさんの報告は、17世紀の「鎖国をやってた李氏朝鮮」で実際に見聞きした西洋人による非常に貴重な記録です。

ハメルさんはその後、無事に故郷に帰ることができ、1692年に亡くなりました(1630~1692年)。

このハメルさんに対して、この記事は「朝鮮人を荒々しく描写した内容が歪曲をもたらしたという批判も存在する」などと書いています。

17世紀に西洋人が見た貴重な記録を歪曲だといっています。そうでしょうか?

『朝鮮幽囚記』には、確かに事実誤認があります。しかし、歪曲などと否定する態度はいかがなものか――です。まずこの詳細な記録を事実として、もし疑うなら精緻に検証すべきでしょう。

自分たちに不都合だからと消し去ろうとする態度など(特に学者としては)言語道断です。

同記事は「学界では、ハメルの名前を取った賞の存在を問題視し、名称変更を要求してきた」とも書いています。その学会とやらはどこの学会のことなのでしょう。

さらには、以下のように書きます。

ベルリン自由大学韓国学科のイ・ウンジョン教授は聯合ニュースに「19世紀までハメルの本を読んだ欧州の船乗りたちが朝鮮付近を通る時、怖くて航海速度を上げたという記録もある」として「ハメルは記念すべき人物ではなく、批判的に照明すべき対象」と指摘した。

批判的に見るべき人物かどうかは勝手に判断すればいいですが、「歪曲をもたらした」などとレッテルを貼って、あたかもハメルさんが朝鮮人について歪曲したかのように言い立てるのは間違いです。

なぜなら、17世紀の人物であるハメルさんが『朝鮮幽囚記』で述べたことと、19世紀の人物で、同じ李氏朝鮮(ただし末期)に朝鮮半島を旅したイザベラ・バードさんが朝鮮人について述べた評価は大して変わりはありません。

ハメルさんの記述とバードさんの記述

以下に挙げてみましょう。まずハメルさんの記述。

この国民の誠実、不誠実および勇気について

彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。

彼等をあまり信用してはなりません。

他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。

したがってある人が取引でだまされた場合、その取引を破棄することができるという習慣があります。
(後略)

⇒参照・引用元:『朝鮮幽囚記』著:ヘンドリック・ハメル 翻訳:生田滋,ワイド版東洋文庫,株式会社平凡社,2003年09月25日 発行,p52

次にIsabella Lucy Bird(イザベラ・バード)さん(1831~1904年)。

この女性も変わった人で、1894年の初朝鮮訪問を皮切りに、その後3年のうちに4回にわたって朝鮮各地を旅行しています。その成果が『朝鮮紀行』にまとめられました。

李氏朝鮮末期の各地を実際に見聞きした貴重な記録です。ただまあ……口は悪いです。例えば以下のように「私は朝鮮人はくずのような民族だと思っていたが……」という記述があります。

(前略)
朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。

ところが沿海州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。

自らを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人景観やロシア人入植者や軍人から勤勉で品行方正だと素晴らしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。

彼らは大半が飢饉から逃げ出してきた飢えた人々だった。

そういった彼らの裕福さや品行の良さは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間になりうるでのはないかという望みを私に抱かせる。
(後略)

⇒参照・引用元:『朝鮮紀行』著:イザベラ・バード 訳:時岡敬子,講談社学術文庫,2025年02月12日 第39刷発行,p307

これはバードさんが沿海州まで行って、ロシア人によって教化、管理された朝鮮人を見た際の感想を綴った箇所です。

つまり――自分がくずだと思っていた朝鮮人でも、搾取されることがなく、財産が保護されるという環境が整うのであれば、その性質はくずではなくなるではないか、そのような希望を持った――という感想です。

表現はキツイものですが、当時の朝鮮の状況をつぶさに見た西洋人女性の素直な表現と見るべきでしょう。

ハメルさんも同じです。なにせ1653年から1666年まで、13年間も朝鮮に幽閉され、辛酸を舐めながら自分が見聞した記録なのです。歪曲も何もないでしょう。

当時の貴重な記録、一次資料として謙虚に見なければならないはずです。

ハメルさんに信用ならない人物とレッテルを貼って、「朝鮮人は物を盗んで嘘をつき欺く傾向が強い」を消し去りたいのかもしれませんが、ハメルさんが書いた詳細な生の記録を消し去ることはできません。

もしそんなことを考えているなら、それこそが「歴史歪曲」の試みです。

(吉田ハンチング@dcp)

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