『韓国経済の解剖 -先進国移行論は正しかったのか-』という本があります。
1997年のアジア通貨危機によってドボン騒動に陥った韓国、その経済を分析した論文を集めた本で2001年07月30日に第1刷第1版が刊行されています。
松本厚治先生と服部民夫先生の編著で、どの論文も面白いのですが、松本先生はこの中ですでに近作『韓国「反日主義の起源」』(2019年03月04日 第1刷刊行)につながる考えを述べていらっしゃいます。
すなわち、韓国は「日本を象った国」であり、経済においても「第二の日本」をつくろうという明確な意志をもったからこそ発展してこれたのだ、という指摘です。
それは「模倣」などという範疇を超えて、世界でも他に類を見ない「国のコピー」です。
同著の序文から、松本先生の論文について紹介した部分を引用してみます。
松本論文は、韓国の工業化を方向づけた戦略を、巷間言われている「輸出志向」ではなく、「日本複製」としてとらえ直すべきことを主張している。
この国は、国の制度的構造と指導層を日本統治時代から引き継ぎ、それを基盤として戦後の日本の発展過程の複製を試みた。
先行する日本は、参照事例という程度のものにとどまらず、開発の全過程を牽引する根源的な力として作用した。
「飛び越え」「逆行」あるいは「物動計画的」とも表現される、韓国的産業化の特性、成功と挫折の軌跡は、この戦略の存在によって統一的に説明できるとする。
両論文はこれまで正面から論じられることがあまりなかった、外国、とくに日本の関与の本質的な意義を浮き彫りにしている。
技術や技能を「節約」し、日本の複製を続け、自律的な発展基盤の形成に手を抜くことそれ自体が、急速な発展を実現をするために選び取られた戦略と解するのである。
(後略)⇒参照・引用元:『韓国経済の解剖 -先進国移行論は正しかったのか-』編著:松本厚治・服部民夫,文眞堂,2001年07月30日 第1刷第1版 発行)
※強調文字などは引用者による。
韓国の経済発展は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代の五カ年計画に始まり、その戦略は「輸出によって経済を成立させること」にあった――といわれます。
確かに現象面ではそうなのですが、松本先生の慧眼はその奥にあったものが、「日本複製」であると指摘しているのです。
「技術や技能を『節約』し、日本の複製を続け、自律的な発展基盤の形成に手を抜くことそれ自体が、急速な発展を実現をするために選び取られた戦略」という説明は、非常に的確といわざるを得ません。
つまり、韓国は日本になろうとし、それはある程度の成功を収めました。だからこそ、韓国の輸出品目は日本とかぶっていたし、日本を模倣するからこそ「この道を行くと成功する」と自信が持てたのです。
これを悪くというと「丸パクリ」ですが、韓国流にいうと「ベンチマーク戦略」となります。模倣・安売りからスタートし、スリップストリームで走行し、スキあらば抜くのです。
まあそれはよいとしても、走行しているクルマは、もともと日本の技術を丸パ……ベンチマークしたものなので、ハリボテ感満載だということです。「自律的な発展基盤の形成に手を抜いた」ツケともいえます。
現在、韓国が輸出において経験している困難は、もはや「日本の複製」でうまくいかないからです(日本が複製させないよう技術をブロックしていることを含みます)。「日本複製」で走ってきて崖っぷちまで来たのです。
もう日本の模倣はできない。さあ、どうします?――という問いが突きつけられているのではないでしょうか。
傑作なことに、日本を嫌い抜く反日国家であるのに、現時点まで到達できた理由は「日本複製」に邁進したからなのです。
(吉田ハンチング@dcp)