日曜日ですので、読み物的な記事を一つ。
本間九介さんの『朝鮮雑記』から李氏朝鮮時代の挿話をご紹介します。
先にご紹介したとおり、本間九介さんの『朝鮮雑記』は、日本併合前の1894年に李氏朝鮮を旅して書かれた著作です。もともとは『二六新報』という新聞(現在でいうタブロイド紙)に連載されたものですが、連載終了後すぐに書籍化されました。
1897年には李氏朝鮮は国号が大韓帝国と変わり、1910年に日本併合となりますので、1894年は李氏朝鮮の最末期です。本間九介さんの『朝鮮雑記』は李氏朝鮮最末期の習俗を現在に伝える貴重な内容です。
現在の目から見るといかがなものか、という点もありますが、「当時はこのようだったのか」と驚かされることばかりです。中に以下のような挿話があるのです。
男色
八道(朝鮮全土)、いきおいよく、いたるところ、男色が流行しない場所はない。
京城(ソウル)にいたっては、良家の子供たちといっても、美しい服をつけて市街を横行し、公然と、その尻を売る。
しかし、あっけらかんとして恥じる様子はない。
韓語ではこれを「ビョーク、チャンサ」と称する。
つまり、男色商という意味である。とくに、股肉を指して、「ビョーク、サル」と呼ぶのは、あまりにもひどすぎるというべきだろう。「サル」とは、すなわち肉の意味である。
(後略)⇒参照・引用元:『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』著:本間九介,クリストファー・W・A・スピルマン監修・解説,平成28年02月05日初版第1刷発行,祥伝社,p85
※ルビは原文ママ/強調文字、赤アンダーラインなどは引用者による
男性を愛する男性がいても別に不思議ではありませんし、日本でも江戸時代には男娼がいました。
江戸時代に日本を訪問した朝鮮通信使・申維翰さんは、著書『海游録』で「男娼の色気は時に女性を上回る」と述べているほどです。
そもそも日本では、男色は古来よりあって、決してマイノリティーではありませんでした。マイノリティーとなり、異端視されるようになったのは、西洋文明が浸透してキリスト教が一般的になった大正時代以降のことです。
戦国時代に日本を訪れた宣教師フランシスコ・ザビエルは、「一神教、一夫一妻制、男色の罪」を日本人に説明し納得してもらうことがいかに難しいか――を本国へ送った手紙の中で嘆いているぐらいです。
流行していた、という点は驚きですが、李氏朝鮮でも男娼は普通にいたということでしょう。
気になるのは、このような習俗がいつ、どのような理由で衰退していったかです。朝鮮時代、また現在の韓国につながるセクシュアリティーの変化というのは研究しがいのあるテーマかもしれません。
(吉田ハンチング@dcp)