「投資」を行っても「投機」を行うべきではない、といわれます。投資と投機の違いとは何でしょうか? 識者に聞いても、帰ってくる答えはさまざまですね。この差についてトレーダーとしての自らの経験から語った人がいます。井口俊英さんです。
1995年「大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件」 約11億ドルの損失が隠蔽されていた!
若い世代は知らないでしょうが、かつて大和銀行のニューヨーク支店が巨額の損失を出すという事件がありました。明るみに出て事件となったのは1995年(平成7年)。それまで12年間も損失は隠蔽されましたが、発覚したときにはなんと約11億ドルという巨額にまで膨れ上がっていたのです。
この損失を隠蔽し、最後の最後に「告白」して逮捕されたのが、当時大和銀行ニューヨーク支店でトレーダーだった井口俊英さんです。井口さんは自らの失敗について、赤裸々に綴った『告白』という本を著しました。デイ・トレードという言葉がまだ一般的になっていなかったので、「日計り取引(Day Trading)」という言葉が使われているなど、時代を感じさせる本ではありますが、そこに書かれていることは今でも個人投資家にとっては参考になるでしょう。
少し長いですが、「投資」と「投機」、そして「賭博」について述べた部分を引用してみます。
<<引用ここから>>
大和ニューヨーク支店で認められていた米国債取引の形態は、日中に売買は完結する日計り取引(Day Trading)であり、投資、投機、賭博のどのカテゴリーにも属さない。
一般に投資(イベストメント:investment)とは、元本リスクを最小限に抑え、より高い運用益を得ることが目的であり、預金、債券運用、配当金目的の株式長期投資が主なものである。
それに対し、投機(スペキュレーション:speculation)とは対象物(件)の将来価値を独自の知識、分析力をもって予想し、売買益(キャピタルゲイン)を目的として資金を投じる行為であり、一般の株式売買が一番分かり易い例だ。ただ、投機には、自分の予想が外れた場合、元本の一部または全部を失うリスクが伴う。
最後に、賭博(ギャンブリング:gambling)は勝率が五割以下の遊びであり、目的はあくまでも娯楽である。賭博で金儲けしようというのは、単なる希望的観測であって、自滅への最短距離である。
日計り取引は文字通り、日中の動きの中で売買益を狙ってごく短期的な売買をすることで範疇としては投機と賭博の間のきわめて狭い部分に位置する。
日計り取引のあるべき姿とは、一旦相場に入ったら、不安、悲嘆、怒り、歓喜といった感情や、欲、意地、見栄といった人間の悪心が入り込まないように、前もって立てた綿密な作戦を忠実に実行することにより、小さく負けて、大きく勝つ取引を来る日も来る日も繰り返すことである。
誰しも相場に入ると、個人差はあれど、理性が感情に支配されてしまう。そしていずれ感情に支配されて自らを滅ぼす。相場に入る前の冷静な頭で練った理性的かつ客観的な作戦をいかに忠実に実行し通せるかが、日計り取引において勝敗を決めるのだ。もちろん作戦の良し悪しも大事である。
全ての作戦に不可欠な最低条件は、損失限度の設定である。小さく負けて大きく勝つためにも、一取引で資本金の五パーセント以上をリスクにさらさない。即ち、十万ドルの資本金で一取引五千ドルの損になれば即、ポジションを手仕舞うことである。負け戦は深手を負う前に逃げる。敵前逃亡は日計り取引の極意である。
⇒引用元:井口俊英『告白』(文春文庫)1995年05月10日第1刷発行,pp205-207
<<引用ここまで:強調文字は本記事筆者による>>
井口俊英さんの考えでは「デイ・トレード」は投資ではないようです。「投機」と「賭博」の間にある、ごく狭い部分に位置するもの、だそうですよ。
(柏ケミカル@dcp)