韓国はキリスト教徒が多い国です。宗教はその人の思考・性向に大きな影響を与えます。
先にご紹介したとおり、キリスト教は抗日運動、軍事政権に対する民主化闘争など、朝鮮の人々が苦難と考える時に思想的なバックボーンとなりました。朝鮮の人々に苦難を乗り越えさせるための背骨ともなったわけですが、実はキリスト教(韓国教会)は、「韓国人は選ばれた民」であるという、選民思想を説いてもいたのです。
ちょっと長くなりますが、浅見雅一先生と安延苑先生の共著『韓国とキリスト教』から以下に引用します。
韓国人の選民思想
ここで、キリスト教徒と韓国人の民族意識の関係について考えてみたい。外来宗教を民族宗教化するためには、しかるべき論理が必要である。
植民地時代に韓国人が抗日意識だけを機軸としてキリスト教会に集結していたというのであれば、戦後「抗日」が意味をなさなくなった時点で、国教化されていなかったキリスト教は民俗宗教として瓦解の危機にさらされるはずである。
この疑問に対する答えは、キリスト教会の教えのなかにある。
韓国教会は、イスラエルの民が神から選ばれたとする「選民思想」を韓国人に当てはめた。
すなわち、特に優れた能力があるわけでもない韓国人を、神は自らの民としてお選び下さったというのである。それによって、韓国人は、神と契約を結んだことになる。
初期の段階で、朝鮮の奇跡的成長に感激した外国人宣教師たちはChosun(朝鮮)の表記に神から選ばれた人々、すなわち「選民」の意味を与えていた(閔庚培、前掲書)。
一九一九年の三・一独立運動以前に『選民』という雑誌が発刊されている。
韓国教会では、植民地時代に「民族的苦難」という意識から内面的信仰を重んじる神秘主義的傾向が強まり、それが当時の日本教会からは「ユダヤ的・旧約的」キリスト教と見られていたことが指摘されている(川瀬、前掲書)。
そして、その傾向は現在も変わってはいない。
韓国人が自分たちにイスラエル的選民思想を当てはめることによって、キリスト教を民俗宗教と見なすことが可能になったと言えよう。
(後略)⇒参照・引用元:『韓国とキリスト教』(著:浅見雅一・安延苑),中央新書,2012年07月25日発行,pp153-154
※赤アンダーライン、強調文字は筆者による
外国人宣教師が「Chosun(朝鮮)」※という表記に「選民」の意味を与えていたというのが驚きです。韓国の人たちにとっては勇気づけられる言葉だったでしょう。
※「choose」(選択する)の過去分詞は「chosen」。chosen personで「選ばれし者」になります。
(吉田ハンチング@dcp)