日曜日ですので、小ネタを一つ。
前大統領の文在寅さんには、自身の半生を描いた『運命』という著作があります。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時代に民情首席秘書を務めたこと、盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんの自死によって政治家に転身したこと……などが書かれています。
文在寅という人物がどのような考え方をするのかを知る上では興味深いですが、あまり面白い本ではありません(個人の感想です)。
文在寅著の『運命』で面白いのは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の民情首席秘書を務めたとき「給料が安かった」と告白しているです。
以下に一部を引用してみます。
(前略)
私は最初、青瓦台の首席秘書官ともなれば、青瓦台の近くに官舎が用意されていると思っていた。ところが、大統領の警護官たちの宿舎と秘書室長の公邸があるだけで、それより下の職級には官舎のようなものは何もなかった。
しかたがないので家を借りた。
一〇〇坪近い庭のある釜山の家を売っても、ソウルの江南にある三〇坪のマンションの伝貰(敷金)には足りなかった。青瓦台に近い平倉洞で小さな重合住宅を借りた。
私はそれでも弁護士だったから、ある程度の貯蓄もあってなんとかなった。
(中略)
青瓦台秘書官の給与は思ったより少なかった。
同じ職級でも省庁派遣の官僚たちは本省の給与体系で支給されるのでまだよかった。
外から採用された特別職の場合は一級、二級と等級だけは高いが勤務経歴の違いなどで金額は少なかった。
途中で市民団体などでの経歴も給与に反映されるように改正したが、それでも有名な団体や社団法人などの経歴しか認められなかった。
また、退職する場合にも、勤務期間に対する退職金が出るだけで、年金などもなかった。みな、肩書だけは立派だったが、経済的には余裕はなかった。
首席秘書官であっても給与に大きな違いがあるわけではなかった。
私の場合、弁護士時代よりも収入は減った。
ますます倹約するしかなかった。
実際、青瓦台で働いているうちに、少しはあった貯金も使い果たした。
(後略)⇒参照・引用元:『運命 文在寅自伝』著:文在寅,岩波書店,2018年10月04日 第1刷,pp181-182
盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんと文在寅さんは、二人で弁護士事務所を設立し働いていました。盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんは、学生運動家の弁護を熱心に行ったことで有名になりましたが、政治色の強い弁護活動の前には、はしっこく稼ぐ有能なコンビだったのです。
稼ぎが多かったことは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんの趣味が「ヨット」であったことからも窺えます。ヨットはお金に余裕がないとできない趣味ですから。
文在寅さんも弁護士として稼いでいたので、民情首席秘書の給料が安いのに驚いたのでしょう。それにしても、「貯金を使い果たした」は驚きです。
↑文在寅自伝『運命』。横は盧武鉉(ノ・ムヒョン)自伝の『私は韓国を変える』。浅学非才の身ではありますが、一応両方とも読んでいます。
(柏ケミカル@dcp)