韓国は、北朝鮮の火砲の射程圏内に首都があるというヘンな国です。
朝鮮戦争の際に、北朝鮮の奇襲を食い、李承晩(イ・スンマン)大統領が漢江にかかる橋を落として脱出した過去があるにもかかわらず――相変わらず首都はソウルです。
現在、北朝鮮が核実験をやらかすのではないかというので、アメリカ合衆国の正規空母ロナルド・レーガンが釜山に寄港し、厳戒態勢を取っています。
しかし、そもそも朝鮮半島は守りに適した地形ではなく、そのため朝鮮半島の歴代王朝はひどい目に遭ってきました。李王朝など逃げるのが前提だったほどです。
40年以上も朝鮮について研究し、韓国についての箴言が多い古田博司先生のご指摘を一つご紹介します。
朝鮮半島はただの廊下
まずは、地理の説明から。中国・北朝鮮・韓国の地図を思い浮かべてほしい。
朝鮮半島の山岳部分は、今の北朝鮮のある北東の方に集中している。逆に、西側は大した山もないほとんど平坦な土地なのである。
つまり一言で言えば、ただの「廊下」なのだ。
私はこの廊下の研究を40年間もしてしまった。明らかな失敗だ。40年経って、やっと廊下だということに気づいたのである。
私が若い学生だった頃、朝鮮半島の研究をする先生たちは、みんな左翼かリベラリストだった。
「悪辣な日本人が、朝鮮半島を乗っ取り、これを植民地にし、ひどいことをした。戦後雄々しく独立した韓国・北朝鮮が、主体的であることを研究で示さなければならない」。
そう教わった。しかしそれは、全部ウソだった。
廊下が主体的になれるわけがない。
平坦な土地だから、歴史を見ても、外敵を防ぐことが全くできていないのだ。
高麗という国の王様は、三度、契丹族という異民族に攻められて、朝鮮半島の南端まで逃げのびた。
モンゴルには国の北半分と済州島を取り上げられ、王子はモンゴル人とのハーフになった。
次の李王朝の王様は、豊臣秀吉の軍隊にボコボコにされ、また逃げる。援軍の明軍も和睦して逃げた。
次には、清のヌルハチの息子が南下してきた。奉天(現在の中国瀋陽市に相当する都市)を出発した軍隊が、ソウルを落とすのに、何と2週間あまりしかかからなかった。
王様はもちろん逃げる。
海沿いの江華島にいつも逃げるので、ここには逃亡用の王宮まで用意されていた。
つまり、守れない土地なのである。
そんなところに、まともな国家が存立できるわけがないのだ。
(後略)⇒参照・引用元:『「統一朝鮮」は日本の災難』著:古田博司,飛鳥新社,2018年09月25日 第1刷発行,pp12-13
※強調文字は引用者によります。
古田先生のご指摘によれば、とにかく王様が逃げるのは朝鮮半島の伝統です。
ですので、朝鮮戦争勃発時に李承晩(イ・スンマン)大統領が逃げて「日本に亡命政府の受け入れを打診した」のも朝鮮半島の伝統に則ったものといえます。
また、これは南朝鮮だけではありません。
アメリカ合衆国軍が参戦し、北朝鮮軍を押し返した際には、(自分が戦争を起こしたくせに)金日成首席は平壌を捨てて北方へ逃げ出しました。
木村光彦先生は「ソウル住民50万人連行計画と金日成満洲亡命政権 :朝鮮戦争の断面」において、
「朴甲東の証言と旧ソ連資料から、金日成らは50年10月以後、大挙して満洲に逃避したと結論しうる。それは、同政権が中国の全面的な庇護を受ける亡命政権と化したことを意味する」
と断じていらっしゃいます。
金日成首席は全軍には「1歩も退却するな、逃亡する者は人民の敵としてその場で死刑にせよ」と命令(1950年10月14日)を出しながら、本人は中国の庇護を求めて逃げたのです。
これもまた伝統芸を再現したものと見ることが可能です。
つまり、朝鮮戦争時には北も南もTopが逃げ出したわけです。歴史の皮肉という他ありません。
「守れない土地にまともな国家ができるわけがない」という古田先生のご指摘は理にかなったものではないでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)