いわゆる徴用工問題について日韓の交渉が行き詰まっていると見えます。
ASEAN+3の会合に合わせて行われた日韓外相会談の結果について、驚くほど中身がないプレスリリースが韓国外交部から出たのは先にご紹介したとおりです。
ことほどさように行き詰まっているため、韓国側で「日本は誠意を示せ」といった声が上がるようになっています。いつもの誠意、誠意と言っている――がまた始まったわけです。要は日本に譲歩しろと言っているわけです。
「日本がすべき譲歩の内容」というのは、韓国メディアでは「日本企業の謝罪と賠償への参加」と報じられています。また、識者からは「日本政府が再度謝罪せよ」という要求であろうという指摘もあります。
これらは日本としては絶対に行ってはならないことです。
1965年の日韓請求権協定によって、「日本の朝鮮半島に対する債務は全て片付いた」というのが公式、法的な立場です。新たに謝罪を行うというのは「まだ債務が残っていた」と認めることになり、これは絶対にしてはいけません。
また「日本企業がお金を支払う」というのも、請求権協定で全てが片付いたという公式、法的な立場を崩すことになりますので、これも行ってはなりません。
さらには、韓国は2015年の慰安婦合意についても政権が変わると、すぐに「真正な謝罪ではなかった」などといい、事実上反故にしました。このように約束を守らない国とはどんな契約を結んでも、謝罪しても全くのむだです。
事の始まりは、そもそも日韓請求権協定でカタがついた問題を韓国側が蒸し返し、また国際法を遵守しない判決を韓国の最高裁判所が出したことにあります。
韓国政府が自縄自縛に陥っているのはまさに自分のせいです。日本政府は、韓国が日本が納得できる解決法を持ってくるまでは一切の妥協をするべきではないのです。
「日本だって約束を守らない」という噴飯ものの主張
「韓国は約束を守らない国である」という認識が日本人の間で広がっているのが悔しいらしく、韓国メディア『ハンギョレ(日本語版)』に興味深い記事が出ています。
以下に記事の一部を引用します。
(前略)
日本で「慰安婦」の話が出ると、耳にたこができるほどよく聞く言葉がある。韓国は「約束を守らない国」だという批判だ。
岸田首相からして「少なくとも国家間の約束を守らなければ、今後どんな議論をしても意味がない」と何度も不快感を示している。
(中略)
韓日政府が「慰安婦」問題に合意したことは否定できない事実だ。
国と国との合意は軽いものではない。韓国政府が被害者と十分に調整しないまま日本と合意したことで、「合意案」はあるものの問題は解決されていないという困難な状況が作られた。
合意案に対する評価は置いておくとしても、日本政府は韓国政府が何を履行していないのかについて明確にしていない。
(後略)⇒参照・引用元:『ハンギョレ(日本語版)』「[特派員コラム]約束を守らない国」
まずここまでですが、「韓国は約束を守らない国」と耳にたこができるほど聞かされると述べています。これは、何度言っても韓国がこれを理解しないからです。
日韓でいわゆる「慰安婦問題」について合意したことは認め、一応はしおらしく「国と国との合意が軽いものではない」などと書いています。
この後の韓国を擁護する書きようがひどいものです。
(前略)
合意案をよく見ると、日本が約束したこのような内容も目につく。「日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととする」
今年、すべての日本の高校生が学ぶ歴史の教科書12種のうち「日本軍慰安婦」動員の強制性を少しでも記述した出版社はたった1社となった。
(中略)
これは、日本政府が韓国に対して「約束を守らない国」と一方的に非難する姿勢に共感できない理由でもある
(後略)。⇒参照・引用元:『ハンギョレ(日本語版)』「[特派員コラム]約束を守らない国」
日本だって「日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととする」という韓国との約束を守っていないじゃないか、といっています。
しかもその守っていないという話が、日本の教科書から慰安婦の記述が小さくなっているからというのです。
こういうのを盗っ人猛々しい主張といいます。
日本は教科書問題で慰安婦の記述を小さくしないなどという約束はしておりません。
そもそもが、2015年の合意によって「日本政府が10億円を拠出し、2016年7月に発足した和解・癒やし財団問題」を2018年11月に勝手に解散し、一方的に反故にしたのは韓国です。
合意の根幹部分を反故にしておいて、日本も約束を守っていないじゃないかという噴飯ものの主張をしているのです。このような国と何を合意しても全くの徒労に終わると考えざるを得ません。
韓国に約束を守らせるには「約束を守らないとひどい目に遭うぞ」と分からせる以外にない、と考えるべきではないでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)