来る2023年06月29日、日韓財務相会談が行われます。『Reuters(ロイター)』まで「通貨スワップについて議論が行われる」という記事を出しています。
日本からすると、なんのメリットもなく「韓国のケツ持ち」リスクを背負い込むだけの話です。
気になるのは、麻生太郎財務相がかつて語った「筋は通してもらおう」はきちんとなされたのか、です。あるいは、日本に対して頭を低くして「通貨スワップを締結してください」と依頼したのか、です。
韓国は日本に「お金を出してください」とお願いする際もエラそうですが、かつて、素直に日本にお願いして韓国国会で大揉め――ということがありました。
朝鮮併合時の皇民化教育を受けて育った朴正煕(パク・チョンヒ)さんが大統領の時代です。1965年に日韓基本条約が締結された後の話です。日本からの支援を受けるために韓国が日本に対して頭を低くした、けしからん、と鄭敬謨先生が以下のような文章を書いていらっしゃいます。
(前略)
ところで、その側近(当時の朴正煕大統領の側近という意味:引用者注)の言い草はまたどうであろう。「韓国は今、黙々と対共堡塁の役割を果しており、また日本も参加している四大国の均衡維持のために、みずからが果たすべき歴史的な使命を自覚しています。
韓国に対する経済援助について、次元の高い立場からの特別な配慮を期待致します」
以上は、一九七一年八月、東京で開かれた韓日協力委で、国会外交委員長、李東元がのべた演説の一句である(一九七一年八月五日付 日刊「ソウル経済」)。
ありていにいえば、
「お陰さまで、お宅のガード・マン務めさせていただいております。
旦那のお宅のご安泰のため、今後とも黙々と、忠勤をはげみますゆえ、賃上げの一件については、どうか特別のご配慮を」ということではないか。
協力委があってから一カ月を経ずして、三十二人にのぼる国会議員たちが、ソウルから東京にやってきた(一九七一年九月十日)。
日韓議員懇談会、といえば聞こえはよいが、この「懇談会」で日本側が聞かされたのは、相も変らぬ泣き言である。
「日本が助けてくれないと韓国はつぶれます。軍事援助を頼みます」
国会軍事委員長、閔璣植(元陸軍参謀総長)の発言である(七一年九月十九日付 朝鮮日報)。
この発言をめぐって韓国国会では与野党が激突しあやうく乱闘劇が起りかけたが、日本の支えなしには韓国は自立しえないことを韓国みずからが認めた点で歴史に記録されるべき一言であった。
(後略)⇒参照・引用元:『ある韓国人のこころ 朝鮮統一の夜明けに』著:鄭敬謨,朝日新聞社,昭和49年07月30日 第二版,pp187-188
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による。
日韓請求権協定の後ですので、「日本が朝鮮半島に残した債務はこれで全て方付いた」という立場でした。韓国としては、それ以上にお金などの支援を引き出すためには、別の理屈を捻り出す必要がありました。
それが「韓国は反共の砦です。日本はそれで救われている」でした。「だからお金をくれ」とつながるのです。
ただ、この朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の時代はまだ上掲のとおり、「言いよう」はまだマシでした。日本併合時代を生きた人たちだったからです。鄭敬謨先生が非難している閔璣植さんにしても。
時間が経過し、「60億ドルくれ」の時にはすっかり「日本人に対するとき、われわれが常に忘れてはならぬ点は、金を借りるにせよ、糧穀を借りるにせよ、毅然たる姿勢を保つこと、絶対に頭を下げる理由はない」になりました(以下の先記事を参照)。
後の時代の60億ドルのことはともかく、当時、鄭敬謨先生は韓国側の言いようは「お陰さまで、お宅のガード・マン務めさせていただいております」ではないか、としています。
また、「日本が助けてくれないと韓国はつぶれます」という発言は「日本の支えなしには韓国は自立しえないことを韓国みずからが認めた」と指摘していらっしゃいます。
しかし、当時は全くそのとおりだったのです。
なにせアメリカ合衆国は朝鮮半島への支援をやめ始めていましたし(ベトナム戦争派兵に対する対価は受けていました)、まだ世界的に見ても貧乏な韓国を支援するようなもの好きは日本以外にあり得ませんでした。
「日本が助けてくれないと韓国はつぶれます」は全くの事実の吐露だったのです。
しかし、このように素直に事実を認めて話すと国会であわや大乱闘になるので、「こじらせた」揚げ句、後年の――麻生閣下も呆れた「そちらが借りてくれと頼むなら、借りてやらんこともない」という発言――につながるのです。
さて、今回の日韓「通貨スワップ」協定問題。
筋はちゃんと通した上でのことなのでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)