韓国「小説家の妄想」は歴史的事実ではなくウソです

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韓国の皆さんはなぜか日本に古代朝鮮半島の影響を見るのが好きです。

しかし、その多くは想像や願望で、時にウソをついてまで牽強付会に持論を展開します。

韓国メディア『釜山日報』にものすごい記事が出ています。

チェ・インホという韓国の小説家の妄想小説『第4の帝国』(2006年10月01日刊行)を基にした記事です。まず、その冒頭部分を引いてみます。

「5世紀前半に伽倻の人が大和第2王朝『河内王朝』建てた」

伽倻かやのことを言うのになぜ日本の三王朝交代説なのか。

400年、高句麗南攻で金官伽耶が潰滅に近い打撃を受けながら、そのエリート層と流民の大きな流れが日本列島に移った。

彼らが三王朝交代説とつながるということだ。

要するに伽倻と関連する時、日本三王朝交代説は「日王(天皇:引用者注)の朝鮮半島出身説」と関連するということであり、伽倻系が日王になったという強力な主張がそれだ。

それだけでなく、伽倻系に続いて後に百済系も日王になったという。
(後略)

⇒参照・引用元:『釜山日報』「5世紀前半伽倻界、大和第2王朝『河内王朝』建てた」

このチェ・インホさんは、韓国では有名な小説家で『失われた王国』『帝王の門』『海神』といった歴史を題材にとった著作があります。

この人が『第4の帝国』という小説を出しているのですが、これがまあなんというか、穏やかにいっても噴飯物という内容です。この記事はそれを引いているのです。

まず、小説、つまりはフィクションを基に『釜山日報』が「強力な主張」などと評している点が第1のばかな点です。

上掲記事はどこから突っ込んでいいのか分からないほどの駄法螺で、「強力な主張」が聞いて呆れます。「なったという」じゃないだろ、です。

この記事だけ読んでも何をいっているのか分からないかもしれませんが、浅学非才の身ではありますが、一応の説明をしてみます。

まず伽倻かやについてです。

伽倻って何?

先の記事で『三国史記』については少しだけご紹介しましたが、1145年に成立した現存する朝鮮半島最古の歴史書です。新羅・高句麗・百済の三国時代について記述されたもので、統一新羅末期までが内容に含まれています。

まず、そもそも『三国史記』には伽倻についての記述はありません。

『三国遺事』の中に「駕洛国記」が登場するのですが、これは抄訳。高麗時代になってから編纂されたであろう伽倻の歴史書としての「駕洛国記」は現存しておらず、そのため伽倻が実際にどのような国だったのか、その全体像は分からないというのが本当のところです

イさんは、この謎の国「伽倻」について見てきたようなことを書いているわけです。

『三国史記』では主に「加耶」ですが、他に伽耶、加良、伽落、駕洛とも表記されます。『日本書紀』では主に「加羅」という表記になっています。伽倻はその実態としては、小国の連合体であったと考えられており、有力な国としては、金官国(金官加羅)、大加耶国(高霊加耶)、安羅国、多羅国、貞淳国があったとされます。金官国と大加耶国は製鉄が盛んで、そのため日本もこの地を重要と見ていました。

金官加羅は、金首露(キム・スロ)という人が建国したとされますが、『三国遺事』によると6つの黄金の卵が天から舞い降り、12日後にそのうちの1つから子供が生まれ、それが金首露だった――となっています。

一応、Wikiから朝鮮半島・三国時代の地図を引いてみます。


↑Author:Historiographer, KEIMS

532年には、新羅23代王・法興王(ポップンワン)によって、伽耶の中心国家であった金官伽耶は滅亡。さらに562年には、新羅24代王・真興王(チヌンワン)によって大伽耶も滅ぼされました。

当然ですが、王族が日本に逃げ込みました、天皇になりましたなどという記述はありません。

妄想をつづった『第4の帝国』というお話

イさんの『第4の帝国』の内容を簡単に説明しますと――韓国の史料『三国史記』『三国遺事』では、三国について書かれているが実は「伽倻」という4つ目の国があり、伽倻の人間こそが日本の王朝の祖になったのだ――というのが大筋です。

第4の国であるとした伽倻から「第4の帝国」というタイトルになっています。しかし、前記のとおり伽倻は実際どのような国だったのかは分かってはいません。

小説『第4の帝国』の始まりは、作者のイさんが金海一帯にある大成洞古墳はかつてこの地にあった伽倻という国(後述)の王族の墓が5世紀初めにこつ然と消えるのに疑問を持ったことです。

なぜ消えてしまったのか?」というわけですが、普通に考えれば「伽倻が勢力を失った」「滅んだ」(後述)からです。

上掲のとおり、6世紀半ばには金官伽耶、大伽耶は滅んでいますので、5世紀から伽倻エリアの力が衰亡して王墓が造成できなくなっていても別に不思議ではありません

大成洞古墳群は韓国金海市にあり「王陵の丘」と呼ばれています。金海市は金官伽倻国の発祥の地であり、古墳の数は約100基。2世紀末から7世紀まで造営されたと考えられています。その中心は3~5世紀に造られたと推定されている39基の木槨墓(地面に穴を掘り、そこに木棺を埋葬した墳墓)です。イさんはこちらを指して「5世紀にこつ然と消えた」といっているものと思われます。

が、この作家のイマジネーションは(よせばいいのに)日本に向かいました。

仁徳天皇のみささぎとされる大仙古墳に、伽倻とのつながりを見出したのです。大仙古墳から出土した(とされる)環頭大刀のつかと環頭が韓国の武寧王墓から出土したものに似ている! また、出土した馬型埴輪も騎馬民族であった伽倻人と共通する!と閃いてしまったのです。

で、どうなったかというと、イさんは、400年に高句麗の南進によって伽倻が滅亡寸前となったとき、王族と流民が日本に亡命。応神天皇になったのは伽倻人とし、その息子で天皇に即位した仁徳天皇のための巨大な陵を造ったのは伽倻人であるとしました。

『釜山日報』の記事では以下のように書いています。

(前略)
朝鮮半島南部から渡った伽倻系あるいは騎馬民族が九州を手に入れた後、5世紀前半に、京都、大阪地方を征服して河内地方に王朝を開いたということだ。

第二王朝を「河内王朝」ともいう。
(後略)

⇒参照・引用元:『釜山日報』「5世紀前半伽倻界、大和第2王朝『河内王朝』建てた」

現在では「昭和の遺物」と評されることもあり、すっかり否定されているといっていい「騎馬民族征服王朝」を使っているのもばかな点といえるでしょう。

開いたということだ」じゃありません。

歴史的事実とは認められない作家の妄想です。もちろん、朝鮮半島で食いつめた流民が日本に流れてきたことはあったかもしれませんが。

いくら小説とはいえ、歴史的事実と認定されていないことをあったことのように書いているのが最大のばかな点です。

王朝交替説を基にした与太話

記事内に出てくる王朝交替説というのは、天皇家の万世一系というのは誤りであり、『古事記』『日本書紀』に記された古代の皇統には断続があり、複数の王朝の交替があった――という説です。

この説自体は特に衝撃的でもなんでもなく、津田左右吉先生の記紀と史実の関係性の研究にまでその源泉を求めることができます(『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』が特に有名)。

現在ではいわゆる「欠史八代」は定見となっていますし、例えば、時に「謎の」がつく第26代「継体天皇」はさまざまな学者・研究家から議論の的です。

チェ・インホさんは、

第1王朝:崇神天皇に始まる(10~14代)
第2王朝:仁徳天皇に始まる(16~25代)
第3王朝:継体天皇に始まる(26~33代)

3つの王朝交代があったと想定しています。

崇神天皇は『日本書紀』では「御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と記載されています。つまり、「国をしろしめした最初の方」という御名ですから「実在した最初の天皇」とする説があります。

仁徳天皇は世界最大級の大仙古墳がみささぎと考えられている方です。

継体天皇は履歴が面白い方で、本来は皇位を継ぐ立場ではなかったのですが、第25代武烈天皇が跡継ぎを残さずに崩御。そのため「なんとかお願いします」と推戴されて即位されました。

現在につながる天皇家の祖は、この継体天皇という説があります。なにせ武烈天皇とは4親等以上離れており、かつ傍系で即位したわけなので、ここで王朝が交代したのではないか、という説が出てくるわけです。

イさんは小説家なので、どんな説を唱えても別に構いませんが、伽倻から逃げ出した王族と流民が日本に亡命して天皇になったなどというのはフィクションを飛び越えてただのウソです。

よくまあこんなウソが平然とつけると驚くほかありません。

小説はウソです。ウソと史実は違います

日本のまともな歴史学者の先生方は『第4の帝国』を一笑に付されるでしょうが、韓国をみくびってはいけません。

このような根も葉もないウソが事実と信じられるのです。また、問題なのはウソが韓国から日本へと流入して、歴史に親しまない日本人が信じ、それがまるで事実のように流布してしまいます。

ですから、一笑に付すだけではなく、こういう話があったら(面倒くさいですが)ひとつひとつ「ウソをつくな」と潰していかなければなりません。

実際、『韓国日報』はこの『第4の帝国』を以下のように書いています。

(前略)
5世紀の広開土大王の5万の大軍に追われ、日本に渡った伽倻の核心エリートが日本文明の主役だったということだ。

(中略)

作家はこの小説を書くために、国内の様々な博物館や王陵、日本の沖縄とさまざまな王陵、武寧大王の誕生地である各羅道、インドなどを現場に回答し、各種史料を収集・考証したという。

そのため小説は、あたかもルポドキュメンタリーのニュアンスを漂わせる。

⇒参照・引用元:『韓国日報』「チェ・インホの新歴史小説『第4の帝国』」

このような歴史的事実に基づかないウソ八百の小説がルポ、ドキュメンタリーであるかのように紹介しているのです。

小説家はその想像力の翼を広げてとんでもないウソを書きます。想像力が一般人より大きいからこそ読者を魅了する「お話」を作れるのかもしれませんが、ウソと史実は違います。

(吉田ハンチング@dcp)

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