2025年03月28日、韓国の外交部が興味深いプレスリリースを出しました。
以下をご覧ください。
― 1994年度外交文書公開(第32次) ―
外交部は、作成から30年が経過した1994年度の文書を中心に、合計2,506巻(約38万ページ)の外交文書を2025年03月28日に国民に公開します。
今回公開される文書には――、
▲ 北朝鮮の核問題に関する第3段階の米朝高官協議および提案・合意内容、
▲ 金日成・北朝鮮主席の死去、
▲ 南北首脳会談の開催に向けた進展、
▲ 金泳三(キム・ヨンサム)大統領の中国・日本・ロシア訪問――などが含まれています。
公開された外交文書は、ソウル・瑞草洞外交史料館内「外交文書閲覧室」で直接閲覧できるほか、「外交文書公開・閲覧請求システム」を通じてオンラインでも申請・確認することができます。
※閲覧請求システムの場合、機密解除された文書の利用は 06月以降に可能です。
外交部は、国民が文書を効率的に検索できるよう、「外交文書目録」、「外交文書の原文要約」、「大韓民国外交文書要約集」を提供しており、1994年から現在まで公開された外交文書は約4万巻(約570万ページ)に達します。
添付1:主な公開文書のリスト
添付2:外交史料館の閲覧室での外交文書原文要約の例⇒参照・引用元:『韓国 外交部』公式サイト「30年前の外交現場へ」
1994年度の外交文書を中心に公開されるとのことで、これは非常に興味がかきたてられます。「主要公開文書」の資料というのは、以下です。
添付資料 1:主要公開文書リスト
□ 主要人物の訪問・訪韓
金泳三(キム・ヨンサム)大統領の中国訪問
金泳三大統領の日本訪問
金泳三大統領のロシアおよびウズベキスタン訪問
李鵬中国国務院総理の訪韓
村山富市 日本総理の訪韓□ 北朝鮮の核問題および南北関係
北朝鮮の核問題:第3段階 米朝高官協議
北朝鮮の核問題:韓米協調および動向
金日成(キム・イルソン)北朝鮮主席の死去に関する事項
金日成死去後の情勢および金正日の権力継承の動向
南北首脳会談の開催推進□ 二国間および多国間関係
村山富市 日本総理との特別会談
韓国医療部隊の西サハラ国連平和維持団(MINURSO)への参加
気候変動に関する国際連合基本協定への韓国の加盟
1994年といえば、アメリカ合衆国はクリントン政権、北朝鮮が核兵器を開発して「朝鮮半島危機」とされた時代でした。
合衆国は本気で爆撃を検討していたのですが、シミュレーションで合衆国・韓国の被害が甚大なものになるとビビり、韓国、日本が「やめてくれ」と止めたので実行しませんでした。
何回もいいますが、このシャドウ・ストライク作戦はやっておくべきでした。
このとき金正日と核ミサイルを除いておけば、現在のような事態にはなっていなかったでしょう。犠牲を覚悟しても、未来のために決断しなければならないときがあります。このとき万難を排して爆撃しておくべきでした。
ともあれ、当時の韓国の外交文書が出てくるというのは、大変興味深いことです。
もう一つ、今回のプレスリリースに添付されていた文書が以下です。
要約内容(抜粋)
金日成 北朝鮮主席の死去(1994年07月08日)に関連する北朝鮮の動向北朝鮮国内の反応
1994年07月09日、金日成の死去(07月08日)を発表、関連放送を継続金正日の継承を強調する内容
黒い服を着て、金正日に対する忠誠を強調07月18日、労働新聞:「朝鮮青年同盟」名義の決意表明を報道
07月19日、中央放送や平壌放送が、金日成の業績と革命理念を称賛同日、韓国側に「8月末に南北首脳会談が開催される」と報道
08月03日、米CNNが、金日成の死に関する現地放送内容を報道
韓国政府の海外公館への指示
1994年7月9日、ロシア・中国・アメリカ・英国・ドイツ・ブルガリアなどにある大使館に以下のように指示金日成死去の背景と関連分析の報告
金正日の動向および後継体制に関する情報収集
北朝鮮の内部情勢や変化の兆候を追跡し、随時報告
一部国では弔問外交の可能性についても照会があり、対応を要請北朝鮮と他国との動き
1994年7月9日、北朝鮮はアフリカやアジア諸国(リビア・エチオピア・スーダン・キューバ・シリア・ナイジェリアなど)に向けて、弔意を表すよう要請一部国では、弔問団を送る意向を表明
外務部の判断
外務部は1994年07月12日、北朝鮮に大使館を有する国々の駐在大使館に対し、金日成の死去に関する各国の反応や動向の把握と報告を指示した。各国が把握している金日成の死因については、「高血圧と心臓病、過度な個人的飲酒、そして過去の大統領(대통령)の圧力によるストレス」が原因であるとの分析が伝えられた。
金日成さんの死因については心臓疾患が有力ですが、問題はその背景にあったものです。
萩原遼先生の仮説「金正日が金日成を殺害したのだ」は、金日成と金正日の「路線対立」の結果起こった政治闘争だったというのが立脚点だからです。
どんなに大量でも、要約ではなく「オリジナルの文書」が見たいところです。もし萩原先生が生きていらっしゃったら、これら韓国政府の外交文書を(たとえオリジナルではなくても)見ようとされたでしょう。


(吉田ハンチング@dcp)