冒頭で結論を先に述べてしまいますが、スゴイことになっています。
韓国の文在寅大統領は「所得主導経済」なるスローガンを掲げて暴走しました。
所得主導成長とは、労働者の所得をまず向上させ、これによって消費が増え、企業の景気もよくなり、経済が成長していくという考え方です。
普通は企業の景気が良くなって経済が成長して労働者の取得が増える――です。しかし、因果関係を逆にして、まず所得を向上させて消費を増やす。これで企業の景気も良くなって経済が成長する。「このチャンバラ当たるでぇ」とやってみたのですが、雇用はなくなるし景気は悪くなるし、で散々な結果に。
文政権では上掲のように最低賃金を無理に上昇させました。
文大統領の公約「1万ウォン」こそ達成できませんでしたが、最初の1年で失敗は明らかでした。文大統領が誤りを認めてすぐ撤回していれば傷も浅かったかもしれないのに、最低賃金を上げ続けました。
文大統領が誕生した2017年から2022年までの42%も上昇しました。次の政権が下げるつもりでもそう簡単にはいきません。給与には下方硬直性があってツルのひと声で下げることなどできないのです。これは文大統領が残す負の遺産といえるでしょう。
文大統領はノーベル賞を取れたはずなのに……
また、コロナ禍のせいもありますが文政権はとにかくお金をまきました。これも所得主導経済を実現するための一つの方法だったかもしれませんが、うまくいきませんでした。
文政権は経済的な成果を上げることなく、間もなく失敗のまま終了します。
韓国メディア『朝鮮日報』に文政権、またウルトラ左翼の李在明(イ・ジェミョン)大統領候補を皮肉る記事が出ております。記事の一部を以下に引用します。
冗談だが、韓国人としてノーベル経済学賞に最も近かったのは文在寅大統領だろう。
5年前、文政府が持ち出した「所得主導成長論」は、経済学の既存理論を無効にする画期的な仮説だった。
経済が成長しなければ国民所得は増えないという因果の法則を逆さまにひっくり返して「所得を増やして成長を遂げる」とした。
アダム・スミス以後、主流経済学250年の歴史を崩壊させる発想の大転換だったが、ついに奇跡はなかった。
経済成長の代わりに雇用惨事、所得格差拡大、自営業営業難などの副作用だけ残したまま惨めな失敗で幕を閉じた。
(後略)
まあこういう左派政権の悪口を書かせたら『朝鮮日報』の右に出る(!)メディアはないでしょう。
左派シンパと見られる人から「『朝鮮日報』を廃刊にしてください」という大統領請願が出るのもうなずけます。
うわごとのように「国家主導」と口走る
また、最近与党『共に民主党』の大統領候補・李在明(イ・ジェミョン)さんが「国家主導成長」なる、どこかで聞いたような経済政策をうわごとのように口にしているのですが、これについても以下のように書いています。
(前略)
今回は、李在明(イ・ジェミョン)『共に民主党』大統領候補がノーベル賞に挑戦するようだ。この候補は「所得主導経済」を凌駕する大胆な仮説を経済公約として掲げた。
「転換的公正成長」とは複雑な名前をつけたが、ひとことで言えば「国家が主体となる成長論」だ。
李候補は「国家主導の強力な経済復興策」とした。
政府が先頭に立って計画を立て、資源を配分して成長を導くということだ。
これを通じて所得5万ドル、株価5,000(KOSPIが5,000を達成すること:筆者注)、世界5大強国の「5・5・5時代」を開くという目標を提示した。言葉だけ聞いても胸を打つビジョンだった。
李候補の「5・5・5公約」も成功すればノーベル賞は取ったも同然だ。
現代経済学が蓄積した経験則に反するからだ。
(後略)
⇒参照・引用元:『朝鮮日報』「成功すればノーベル賞確実、イ・ジェミョンの『国家主導成長』」
李在明(イ・ジェミョン)さんが言ってることは、ソ連とか毛沢東とか、コルホーズとかの言葉が走馬灯のように頭を駆け巡り、歴史の教科書の白黒写真で見たなぁ……という感慨をかき立てます。
韓国という国はそういうのに巻き込まれないために、1950年上方にある国と戦争を行ったのではなかったでしょうか。
「国家が主体となる成長論」です。これは「主体経済」でしょうか。
上方にある国が唱える「主体思想」の経済版なのでしょうか。
偉大なる領導者が指導する経済だとでもいうのでしょうか。
21世紀の今になってそんな方向に舵を向けるなら、なぜ1950年にバンザイして降伏しなかったのでしょうか。
韓国はいよいよ危なくなっています。少なくとも李在明(イ・ジェミョン)さんが大統領になったら、北は主体思想、南は主体経済の国になりそうです。
これはスゴイことです。興奮してきたな
(吉田ハンチング@dcp)