日本が併合するまでの朝鮮半島は「何もなく、悲惨な状況だった」という証言は、さまざまな方から出ています。
第31代アメリカ合衆国大統領を務めた、ハーバート・フーバー(Herbert Clark Hoover)さんも証言者の一人です。朝鮮半島が日本の統治によっていかに近代化されたのかについては、「革命的に改善した」と書いています。
フーバーさんは、日本が朝鮮半島を併合するのしないのでもめていた1909年に実際に現地に足を運んでいます。また、トルーマン大統領の要請を受けて1946年05月、食糧支援プログラムで朝鮮半島を訪問しているのです。
ですので、フーバーさんは、日本の朝鮮併合直前に現地がどのような様子であったのか、また日本が手を引いた1945年08月直後、米軍政下でどのような様子だったのか――35年余りの時間を隔てて朝鮮を比較できる人物なのです。
フーバーさんの大著『裏切られた自由』のケーススタディー「朝鮮」から一部を以下に引用します。
(前略)
朝鮮は記録ではニ〇〇〇年の歴史がある。統一王国ができたのは六六九年である[訳注:百済は六六〇年、高句麗は六六八年に新羅によって滅ぼされた]。
何世紀にも渡って朝鮮は中国に従属した。一八九五年、清との戦いに勝った日本は、朝鮮の清国からの独立を確保した。
一〇年後の一九〇五年、日露戦争の戦勝国日本は朝鮮を軍事的に占領し、一九一〇年に正式に併合した。日本の占領は一九四五年八月の日本の敗戦で終わった。
私(フーバー)が初めてこの国を訪れたのは一九〇九年のことである[編集注:原稿は一九一〇年となっているが修正した]。
日本の資本家に依頼され、技術者として助言するためであった。
当時の朝鮮の状況には心が痛んだ。
人々は栄養不足だった。身に着けるものも少なく、家屋も家具も粗末だった。
衛生状態も悪く、汚穢が国全体を覆っていた。悪路ばかりで、通信手段もほとんどなく、教育施設もなかった。
山にはほとんど木がなかった。盗賊が跋扈し、秩序はなかった。
日本の支配による三五年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した(revolutionized)。
日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。
港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設、そして民家も改良された。
衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。
北部朝鮮には大型の肥料工場(訳注:朝鮮窒素肥料)が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに達した。
日本は、禿げ山に植林した。
教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。
汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。
朝鮮人は、日本人に比較すれば、管理能力や経営の能力は劣っていた。このことが理由か、あるいはもっと別な理由があったのか確かではないが、経済や政治の上級ポストは日本人が占めた。
一九四八年、ようやく自治政府ができた。しかし。朝鮮人はその準備がほとんどできていなかった。
(後略)⇒参照・引用元:『裏切られた自由【下】 フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症』著:ハーバート・フーバー,編:ジョージ・H・ナッシュ,訳:渡辺惣樹,草思社,2017年11月16日 第一刷発行,pp363-364
『裏切られた自由』には、ケーススタディの部に、ポーランド、中国、朝鮮、ドイツの4カ国についての考察があります。上で引用したのでは「朝鮮」の「序」の部分の記述です。
日本の朝鮮併合が始まる直前に半島を訪問した人の手記を読むと、判で押したように「はげ山」という言葉がでてきます。よほど異様な光景に見えたのでしょう。
はげ山になったのは朝鮮の皆さんが自分で乱伐に勤しまれたからで、日本併合後は政府主導で植林事業が行われました。曲がりなりにも、現在朝鮮の山々が青々としているのは日本による併合時代があったからです。
せっかく数十年かけて緑化した山を切り開き、太陽光パネルを設置しようと全力を上げた大統領がいましたね。確か「文在寅」という人です。
それはともかく、フーバー元大統領も日本の“植民地支配”によって「朝鮮の生活は革命的に改善した」と、日本の貢献を認めています。
日本が朝鮮半島に傾けた努力は、朝鮮半島に住む皆さんの生活を良くした――との評価です。日本の貢献を認めないのは、主に朝鮮半島に住む人だけでしょう。
↑浅学非才の身ですが筆者も『裏切られた自由』は購入して一応読んでおります。
(柏ケミカル@dcp)