「お金を貸してくれ。ビタ一文まけられない」
「貸してくれ」と頼む方がエラそうっていうのは何事だ、と日本人なら怒るでしょう。「は?」と呆れて聞き返す話なのですが、韓国は平気でこういうことを言う国です。
本当です。過去にこのような呆れる例があったのです。
1982年のことです。「日本は反共の防波堤となっている韓国に対して資金を援助するのは当然だ」とし、60億ドルという法外な金額を要求しました。
(よせばいいのに)中曽根康弘総理大臣は訪韓し、7年間で40億ドル目処という円借款を決めたのです。
こんな法外で無茶苦茶な要求など突っぱねるべきだったのですが、この際、韓国は「まけられない」という姿勢をとっていました。近年の麻生太郎国会議員の以下の有名な発言、
「(前略)韓国は『(どうか)借りてくださいと(日本が)言うなら、借りることもやぶさかではない』と答えた。
(金を貸す側が)頭を下げて『借りてほしい』などという話は聞いたことがない。(それで)交渉テーブルを蹴って(交渉から)撤収した。
それで終わりだ。
スワップに対して韓国との間にあったのはそれが最後だった。
今はどうなっているのかよく知らない」
にも通じる話です。
この「通貨スワップ」についても韓国は借りる側だというのに「借りられて当然」という態度を取っていたのが分かります。韓国の「借りる側がなぜか偉そう」という態度は全く変わっていなかったのです。
このように人から金を借りるときですら悪びれずに偉そう、居丈高というのは、朝鮮半島の文化が影響しているのではないかという指摘があります。
古田博司先生の著作から一部を以下に引用してみます。
(前略)
むかし中国には飢饉の際などには、貧民が富者の家に行き、みなで食べ物を出させて食べる「吃大家」の風習があったという。これも朝鮮とまったく同じである。
つらつら考えみるに、韓国に日本に借款を要請するときの論法がなぜか一方的なのも、豊かな者はより多くをむさぼっているのだから、貧しい我々にもその一部を食べさせるのが当たり前だという考え方によるようである。
借りる一方がとにかく一銭もまけられない、と頑強に主張する。
日本人には大変不思議な論法であるが、かれらの方では一応筋が通っているのである。
富者は富者なりに、貧者は貧者なりに、一方は他方の権利を認め、一方は他方にそのわけまえを与える。
そして「みんなで食べよう」ということなのである。
(後略)⇒参照・引用元:『悲しみに笑う韓国人』著:古田博司,筑摩書房,1999年02月24日第一刷発行,pp146
※
さすが朝鮮半島の歴史・文化に精通した古田先生、という指摘です。この本が書かれた当時は、当然韓国との「通貨スワップ」などはありませんでした。ですので「日本からの借款についてビタ一文まからない」という態度をとった韓国についての分析です。
古田先生によれば、李朝の時代、朝鮮半島には「みんなで食べる」という「共同会食」の文化があったのです。貧者が富者の家に上がりこんで当然のように食事を行うのです。
貧者の方は富者なのだから我々から富を吸い上げているのだから「食事を与えて当然」という意識ですし、富者の方は至極当然として食事を与えます。つまり、これは富の分配方法の一種です。
韓国は「日本が富をむさぼっているのだから、その分け前をもらって当然」という考えを持っているのはないか、という指摘です。そんな中世社会でしか通用しないような考えをいまだに持っているのだとしたら、とてもではありませんが付き合いかねます。
韓国の方では一応筋が通っているのかもしれませんが、こちらとしては筋が通ってなどいないのです。付き合って話を聞いても腹立たしいだけです。
かくのごとく、日本と韓国では全く話の筋が合いません。どこをとって分かり合えるというのでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)