日曜なので読み物的な記事をひとつ。
豊臣秀吉の朝鮮征伐の際、李氏朝鮮の水軍の一部を率いた李舜臣という将軍がいます。
ソウルを訪問したことがある方は上掲の像をご覧になったかもしれません。大剣を握り、南方(つまり日本の方)を睥睨する大変に勇ましい姿です。
この李舜臣さんが世界的に偉大な人物であるとして、「あの東郷平八郎元帥も尊崇していた」と引用されることがあります。
※東郷平八郎さんは聯合艦隊を率い、ロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに打ち破った日本の誇る英雄です。東郷提督は、世界海戦史上、他に類を見ないパーフェクトビクトリーを日本にもたらしました。元帥は最終階級で、日露開戦時には第一艦隊兼聯合艦隊司令長官でした。
この東郷元帥の逸話なるものがいつからあるのか分からないのですが、先にご紹介したことがある「左巻きの種本」と目される『日・朝・中三国人民 連帯の歴史と理論』にもその記述があります。以下にその部分を引いてみます。
(前略)
ある時、日朝友好運動の活動家の集まりで、朝鮮から来た郵便物の切手を互にわけあっている時、その切手に描かれている李舜臣という人物
について、「どういう人か知っているか?」と私がたずねましたら、十五、六人のうち、一人も知らなかった。李舜臣というのは、さっき話したいわゆる秀吉の「朝鮮征伐」の時、朝鮮の海軍の大将で、日本の海軍をメチャクチャにやっつけ、朝鮮では軍神とされている人です。
すべて戦争というものは相手があり、戦争の話には両将の名前が出てくるものである。
乃木大将といえば「敵の将軍ステッセル」である。川中島の戦いといえば武田信玄と上杉謙信である。
加藤清正とならんで、李舜臣の名前ぐらいは、知っていてもよいではないか。
しかもこの李舜臣というのは、ちょっとやそっとの人物ではないのです。
面白い話がある。
これは、日露戦争の時に東郷平八郎が日本海海戦で大勝利をして凱旋した。彼は元帥になった。
そのお祝いの席上である人がおべっかをつかって「この度の大勝利は歴史に残る偉大なものだ。ちょうど、ナポレオンをトラファルガーの海戦で敗ったネルソン提督に匹敵すべきあなたは軍神である」といった。
東郷はそれに答えて、「おほめにあずかって恐れいるが、私にいわせればネルソンといいうのはそれほどの人物ではない。真に軍神の名に値する将軍があるとすれば、それは李舜臣ぐらいのものであろう。李舜臣に比べれば自分は下士官にも値しないものである」と言っています。
今、日本で日朝友好をやっている指導的活動家が、李舜臣の名前さえ知らないというのでは、日本帝国主義を育て上げた東郷元帥の朝鮮認識より劣るという無見識なことになる。
(後略)※強調文字、赤アンダーラインなどは引用者による。
⇒参照・引用元:『日・朝・中三国人民 連帯の歴史と理論』著:安藤彦太郎・寺尾五郎・宮田節子・吉岡吉典,日本朝鮮研究所 1964年6月10日 第1刷,pp6-7
ご注目いただきたいのは、「東郷元帥が言った」としている「おほめにあずかって恐れいるが、私にいわせればネルソンといいうのはそれほどの人物ではない。真に軍神の名に値する将軍があるとすれば、それは李舜臣ぐらいのものであろう。李舜臣に比べれば自分は下士官にも値しないものである」という言葉です。
本当にこんなことを言ったのか?――です。
これは『日・朝・中三国人民 連帯の歴史と理論』の「はじめに」に登場する文ですが、書き手の「私」が誰なのかクレジットされていません。
この本は、左巻きの皆さんが「北朝鮮との友好、日韓基本条約締結阻止、中国人民との連帯」を目指して書いた本なので、中には「朝鮮は素晴らしい」「日本はこんなに悪い」という項目が書き連ねてあります。
この「朝鮮は素晴らしい」の中の一つとして、「あの東郷平八郎元帥も李舜臣さんを尊崇していた」が入っているわけです。
この本『日・朝・中三国人民 連帯の歴史と理論』の刊行は1964年です。つまり、1964年にはすでに「東郷元帥が言った」ことになっていたわけです。
しかし、実はこれはウラが取れません。
司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』にまで「東郷元帥が李舜臣を尊崇していた」みたいな話が登場しますが、史料にはそのような発言は見つかりません。全部が伝聞で、本当かどうか分からないのです。
「誰が言い出したんだコレ」であり、現在では「誰かが作ったウソなんじゃないのか」と疑われています。
そのため、さすがに韓国でも「東郷提督が李舜臣を尊崇していた」みたいな話は、あまり聞こえてこなくなっています(ただし日本軍を破った※英雄として、韓国では李舜臣は絶対的な存在です)。
史書を読むと、李舜臣さんの戦果は限定的なものだったと分かります。朝鮮半島で英雄と持ち上げられたのは、日本併合時代を経て(さらには戦後)のこと。
日本人はすっかり忘れていますが、実は李舜臣さんは、「江戸時代」に日本でこそ高く評価された人物なのです。
↑江戸時代の『絵本太閤記』(大人気になりました)に登場する水軍の戦いを描いた絵。
日本では江戸時代に盛んに読本が作られましたが、朝鮮征伐の物語には「向こうにも強い将軍がいたんだぞ」というキャラクターが必要で、そのために持ち上げられたのが李舜臣さん――という建て付けです。
今でもそうですが、主人公を輝かせるのは強い好敵手です。
李舜臣さんが韓国で英雄になってしまったのは、以下のような経緯であったと推測できます。
1.江戸時代に読本などで「李舜臣はすごい好敵手であった」と評価が高まる
(日本人の方が李舜臣に詳しくなる)
2.日本人から「お国には李舜臣というスゴイ将軍がいたそうですな」と言われる
3.「(よく知らないけど)そうなんですよ! よくご存じですな」と言ってしまう
4.併合時代に李舜臣さんが朝鮮半島でも広く知られるようになる
5.「実は東郷平八郎元帥も李舜臣を尊崇していた」という話が捏造される
6.「李舜臣さんは東郷提督も尊敬していた世界的な将軍だ」と間違った認識が確立する
7.李舜臣さんは「日本軍を破った世界的な偉人」になってしまう
⇒もう後には引けない
↑YouTube『moviecollectionjp』チャンネル「豊臣秀吉による朝鮮出兵、最大の海上決戦が今始まる/映画『ハンサン ―龍の出現―』本編映像」
8.上掲のような3部作の映画までできてしまう(←今ココ)
――というわけで、ウラが全く取れないので、あったことになっている「東郷元帥の言葉」なるものはウソである疑いが濃厚です。もっとも「なかった」という断言もできませんが、現在では眉唾と見られています。
面白いのは、韓国で「救国の英雄」とされている人物は、もともと日本で高く評価され、それが朝鮮半島にも逆輸入され現在の位置に据えられた――という点です。
まさに『おばあちゃんは歴史家じゃない』なのです。
(吉田ハンチング@dcp)