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朝鮮人歴史家は「偏狭なナショナリズム」で「願望でしかない自説」を正当化しているのだ

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主に韓国の学者の皆さんは、李朝時代に資本主義の萌芽があったたと言います。

日本が朝鮮併合を行わなければ、それが育って朝鮮には資本主義が芽吹き、経済発展を独自に遂げられたはずだというのです。このような学説は韓国では根強く支持されています。

しかし、これは事実ではありません。ただの願望です。

なぜ願望を学者が言い張るのかというと、日本が朝鮮半島で行った開発、その成果が現在の韓国経済の基盤となっていることを否定したいからです。

カーター・J・エッカート先生は『日本帝国の申し子』の中で、韓国人学者の事実に則らない説(願望)について以下のように書いていらっしゃいます。

(前略)
帝国主義による植民地支配の時代は、朝鮮の社会経済の発展において重大な意味を持っている。

にもかかわらず、多くの朝鮮人歴史家はあえてそれを無視し、一般的には次のような学説が展開されている。

朝鮮の資本主義の萌芽は一七世紀に生まれたが、十分に成長する前に外国の圧力にさらされた。

そのため日本の経済進出に耐えきれず、一九一〇年の日韓併合による植民地化によって、資本家の成長は一九四五年まで大きく抑制されたというものである。

極言すれば、日本による植民地化は朝鮮の社会経済の発展に何の貢献もしなかったということだ。
(後略)

⇒参照・引用元:『日本帝国の申し子』著:カーター・J・エッカート,訳:小谷まさ代,草思社,2004年01月30日 第1刷発行,p27
強調文字、赤アンダーラインは引用者による/以下同

また、このような説についてエッカート先生は以下のような痛烈は批判を加えていらっしゃいます。

(前略)
結局、萌芽を唱える学者たちの努力は、オレンジの果樹園で夢中になってリンゴを探すのに似た空しいものである。

朝鮮に独自の産業革命が起こっていたかどうかを証明する方法などありえない。

それなのに、彼らはなぜそんなに自説に固執するのか。

歴史的に見て、資本主義の萌芽が李朝にあったという事実が重要になるのは、偏狭なナショナリズムを正当化するときだけである。

そのような偏狭な考え方が第三者の興味をそそるはずはなく、朝鮮の歴史ともほとんど関係がない。

起こったかもしれない」などという仮定の話に答えは決して見つからないが、「実際に起こったこと」に関しては歴史がはっきりと証明している。

朝鮮における近代的な工業技術は外国からもちこまれたのであって、国内で生み出されたものではない。
(後略)

⇒参照・引用元:『日本帝国の申し子』著:カーター・J・エッカート,訳:小谷まさ代,草思社,2004年01月30日 第1刷発行,p26

エッカート先生のおっしゃるとおり、「朝鮮における近代的な工業技術は外国からもちこまれたのであって、国内で生み出されたものではない」のです。

では、誰が朝鮮に持ち込んだのでしょうか?

もちろん日本人です。


↑エッカート先生の『日本帝国の申し子』。浅学非才の身ではありますが一応筆者も拝読しています。

(吉田ハンチング@dcp)

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