「朝鮮が琉球に遅れをとった。ぐぬぬ……」

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日曜日ですので読み物的な記事を一つ。

読者の皆さまもご存知のとおり、朝鮮半島の国家は中国から掣肘を受けてきました。李氏朝鮮王朝は中国に事大の礼をとる国で、500年以上も続きました。

事大というと「中国に無条件につき従う」あるいは「阿(おもね)る」というイメージがあるかもしれませんが、そういうことではないのです。

宗主国の礼を体現した国であり、それを失した野蛮な国と見られたくない」というもので、要は「中国から高く評価されたい」「中国から蔑まれたくない」という精神のことを「事大」といいます。

中華文明の祖たる中国から礼を授かり、それを身につけて「東方礼儀の国となった我が国」というプライドの体現であって、傍からは「中国の言うことならなんでも聞くじゃないか」と見えても、中国=上国に対して礼を失しないというものであり、漢族から褒められるために行うのです。

この中国から認められた礼の国というのが朝鮮のプライドであり、そのため他の国より(中国から認められた)序列が高くなければなりません。

なぜなら、礼教を強化して実践、本家中国よりも「礼の国」となったからです。

しかし、中国からすれば、そのような朝鮮のプライドなど知ったことではありません。中国は朝鮮よりも他の国を上位に置くことがあります。例えば、琉球王国です。

実際そのような事例が過去にあって、朝鮮の人のプライドが傷ついたさまが記録されています。尹昕(1564~1638年)という人の文です。古田先生の著作から孫引きさせていただきます。

中国の王朝の朝賀の席では、千官が朝服(朝賀の礼服、紅の衣に金冠を戴く)を着る。

独り我が国の使臣だけが黒団服(黒の丸首の衣)で朝賀の列に従う。

(中国は朝鮮に)朝服を着ることを許さない。

ある人は言う。

これはきっと夷礼(野蛮人の礼儀)によって、あしらおうとしているのだと。

王城に入るときも、また(朝鮮人が)かごに乗ることを許さない。

琉球(現、沖縄)の使臣は皆かごに乗って入る。

独り我が国の使臣だけに許さない、その理由が分からない。
(尹昕『渓陰漫華』)

⇒参照・引用元:『朝鮮民族を読み解く』著・古田博司,ちくま学芸文庫,筑摩書房,2005年03月10日,第1刷発行,p.173
強調文字、赤アンダーラインは引用者による。

朝鮮の使者だけが黒団服を来て朝賀させられ、王城に入る際にもかごに乗ることを許されなかった。琉球の者は許されたのに……と悔しさを綴っています。

現在の言葉でいえば「ぐぬぬ……」状態です。

琉球王国より下に置かれたことが非常に悔しかったのでしょうが、しかし中国からすると、これは当然の序列かもしれません(「お前はかごに乗るな」とかの意地悪はともかく)。

琉球王国は中国南部と盛んに交易を行い、交流も密でした。日本人の多くはすっかり忘れているかもしれませんが、琉球王国は貿易で花開いた南方文化の拠点だったのです。

比べて申し訳ないのですが、朝鮮の方は朝貢を行うばかりで、特に中国に利益をもたらしてはいません。朝貢というのは中国が「倍返し」を行う制度なので、中国からすれば持ち出しの方が多いシステムです。

そもそも李氏朝鮮では限られた少数の御用商人しかおらず、後は闇商人のような存在がわずかに商業を営んでいるという状態でした(だからこそ資本主義の萌芽があったなどという主張は成立しません)。

中国-朝鮮の商業が大いに発達するなどという状況が成立するわけがなかったのです。中国からすれば「心服しているというけど、こっちに実利は全くないぜ」という朝鮮と、琉球王国を比較したら、それは後者を高く評価するでしょう。

「中国の礼を完全に把握し、実践しています。褒めてください」と言われても、「……そうですか」「立派ですね」としか言えませんわね。

ともあれ、李氏朝鮮王朝に突き固められた「事大」は、現在の韓国(そして北朝鮮)にいまだに大きな影響を残しているように思えます。

(吉田ハンチング@dcp)

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