「韓国の日本専門家」が聞いて呆れる妄言連発「韓国が国際法に違反したという主張には理がない」「韓国は自分で近代化できた」

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現在でもこのような考えを持つ学者がいるというのは驚きです。

「いわゆる徴用工問題」で韓国政府が債務引受プランで正面突破しようとしているためか、左派・進歩系がカウンタープレッシャーを強めています。

2023年01月07日、韓国メディア『毎日経済』に「『韓国の経済発展は植民支配のおかげ?日本の専門家が指摘する真実は」という記事が出ました。

『ソウル大学』日本研究所の所長である南基正(ナム・キジョン)教授にインタビューしています。一問一答式でどれも非常に興味深い内容です。自動翻訳でも大意は分かるので、読者の皆さんもぜひ一度読んでみることをお勧めします。

韓国に都合のよい強弁が並んでおり、韓国の識者なる方がどのような考えなのかが分かって大変に勉強になります。

なぜ多数の説に従わないのか

例えば、1965年の日韓請求権協定によって朝鮮半島に対する債務は全て清算された。それゆえに「いわゆる徴用工問題」での韓国司法の判断「併合時代の債務がまだある」は完全に協定に違反している。これは国際法違反だ――という日本の主張について、以下のように述べています。

Q.1965年請求権協定に関連して「韓国が国際法に違反した」という主張は一理ある言葉なのか?

A:そんな主張に一理がないというのは、日本政府も感じ始めたようです。

それで、最近は日本政府でさえ国際法違反という言葉は使わず、「国家と国家の約束」このように説明しています。国際法違反論という話が持つ負担を感じていることと見られます。

日本が言う国際法違反論とは、両国間の条約と協定を韓国憲法と国内法に基づいて判断しているという問題提起です。韓国が国内的立場でこの問題を判断してはならないと要求しています。

ところが、このような要求の根拠は国際法一般認識で見ると、一つの小さな認識に過ぎません。

国際法の教科書にも幾つかの学説が出てきて、憲法が条約や協定より優位にあるという解釈など、国内法優位説も少数だがあります。

条約が優位にあるというのが多数説になってはいますが、幾つかの学説の一つに過ぎないのです。

つまり、国際法教科書でもさまざまな学説の一つに過ぎない主張を国家を挙げて一方的に相手国に要求するというのは、実は非常に負担になることです。

ここでさらに一歩進んで、それでは国際法は何ですか?というところまで入り込むとさらに難しくなります。

そのため日本も負担を感じているのです。

そして日本内ではむしろ条約に対する憲法優位論が多数説であり、過去に憲法優位に立脚した解釈も数回下してきた。例えば、砂川訴訟、光華寮訴訟など、幾つかの事例から見ると、日本も憲法により相手国との条約を解釈したことがあります。

日本もそんな行動をとったことがあるのです。

⇒参照・引用元:『毎日経済』「韓国の経済発展は植民支配のおかげ? 日本の専門家が指摘する真実は」

元記事を見ていただければ分かりますが、ご丁寧に「要求の根拠が国際法の一般認識から見たときには一つの小さな認識」という部分を強調文字にしてアンダーラインが引かれています。

国際法は国内法に優越する、という認識を一つの小さな認識と矮小化して、韓国の司法判断は有効だと強弁したいのでしょうが、その後スグに「条約が優位にあるというのが多数説になってはいます」と自分で述べています。

多数派の意見を取るのは当然ではないでしょうか。「条約が優位にあるというのが多数説になってはいます」に強調文字とアンダーラインを引くべきでしょう。

つまり、この南基正(ナム・キジョン)教授は「韓国が国際法違反を犯している」という主張が多数説に依ったものであることを認めているくせに、「一理ない」などと強弁しているのです。

自分でおかしいと思わないのでしょうか。

なぜ砂川訴訟が国際法違反になるのか?

「砂川訴訟」「光華寮訴訟」をもって日本だって国際法を守らなかったことがある旨を述べていますが、これに至ってもおかしな言説です。

砂川事件の焦点は、日本国憲法によって戦力の不保持をうたったのに米軍が駐留しているのは憲法違反である――とした原告側の主張にありました。

結果どうなったかというと、「戦力というのは、日本が指揮権を有する戦力であって、日本に駐留するアメリカ合衆国軍は合衆国が指揮権を持っているので違憲ではない」という判断が最高裁判所で下されたのです。

さらにこの判断によって「日米安全保障条約」は守られるという結果になりました。なぜこれが「日本の司法が日本国憲法は国際法に優越する」という判断を下した例になるのでしょうか。

さらにいえば、最高裁判所は「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」としています。

これは「司法自制の原則」をとったものと解釈できます。

つまり、国際法・国家間の関係に重要な影響を及ぼす事柄については、国民から付託されたわけでもなく責任も取れない裁判所が判断を下すわけにはいかない――という原則です。

そもそも韓国の司法もこのような態度を取っていれば、国際法違反だと指摘されることはなかったはずです。韓国の司法はまさにOINKな判断をしたのです。「日本もやってる」などと砂川事件について言うのは明らかにおかしい言説です。

光華寮訴訟の決着はまだついていません

「光華寮訴訟」というのは、台湾人や中国人の留学生寮であった「光華寮」の所有権争いを巡る訴訟です。

若い読者の皆さんはご存じないと思われますが、光華寮というのは京都大学(当時は京都帝国大学)が中国人留学生のために用意した学生寮。

戦後になってから光華寮の所有権が中華民国(台湾)に移ります。で、「中華民国」とする原告が、光華寮に居住する被告らに対し、所有権に基づき、各専有部分の明け渡しなどを求めて裁判を起こしました。

よくある建物専有・明け渡しの民事裁判ではあるのですが、焦点は、当時の中国が「中華民国」であり、後に本土で「中華人民共和国」が成立、日本は台湾との国交を断絶したことです。現在も台湾は国連に加盟する国ではなく、一応「中国の一部」ということになっています。

このため、中華民国(台湾)の原告に訴訟を起こす資格があるのかまで問われることになり、ややこしいことに中華人民共和国が「この訴訟を注視している」とコメントを出すに至ります。

どうなったかというと事実上の原告敗訴で、「中華人民共和国」の思惑どおりの結論に達しました(中華民国を認めるなという意味において)。つまり、原告は「国家としての中国」であり、その中国というのは「中華人民共和国」になったので、中華民国は中国代表といえる資格を失っている、としたのです。

2007年、最高裁判所の第3小法廷は、原判決(差戻し後控訴審判決)を破棄、第1審(京都地裁)に差し戻しました。で――建て付け上、まだ裁判は続いています。もちろん塩漬け状態ですが。

本件をもって「日本の司法は国内法が国際法に優越すると判断した」ことになるでしょうか。本件は政治(および国際関係)が絡んだ悩ましい事案で、台湾(中華民国)をどう扱うのかが本件の焦点になってしまっています。

ともあれ、南基正(ナム・キジョン)教授が「光華寮訴訟」を例に出していますが、「まだ結論は出ていない」のですから、本件をもって「日本の司法は国内法が国際法に優越すると判断した」にはなりません。

韓国大法院(最高裁判所)のように「日本企業に対して自称徴用工への損害賠償を支払え」といった、明らかな国際法違反の結論を下したわけではないのです。

まだそんなことを言っているのか!

次にいきます。日本が朝鮮半島に近代をもたらしたのだという事実を南基正(ナム・キジョン)教授は否定しています。

(前略)
Q.日本のおかげで韓国が近代化でき、経済発展したという植民地近代化論、一理ある言葉なのか?

A:それは日本の一方的な主張だけです。

植民地時期日本によって朝鮮が近代化されたという主張は、一部数値上で経済的成長がなされたということは認められる部分があるとしても、それは植民地的近代化の非常に小さなスケールです。

それで近代化が成し遂げられた話にはならないのです。私は植民地近代化論は奴隷思想だと思います。

朝鮮は19世紀末にすでに主体的に近代国民国家形成のための思想と運動を持っていました。

すでに私たちの中にそのような可能性があったのだが、これが日本によって歪曲されたのが歴史の展開過程でした。

(中略)

近代を追求する民族主義と自主を追求する民族主義が一つになるようにするのです。

ところが、植民地下ですでに近代化が行われていたという主張は、私たちの課題と目標意識を希釈させる論理で奴隷的発想なので注意してください。
(後略)

⇒参照・引用元:『毎日経済』「韓国の経済発展は植民支配のおかげ? 日本の専門家が指摘する真実は」

「朝鮮半島に近代をもたらした日本の功績」を否定しているのは韓国の学者だけです。最近では、実証的研究による『反日種族主義』という立派な著作があって、日本併合時に朝鮮半島に近代が移植されたのかが明らかになっています。

いまだに「近代萌芽論」を唱えているのはまさに時代錯誤な主張という他ありません。このような事実を無視した人物が日本専門家だというのですから呆れるばかりです。

徳田克先生が『韓国の歴史教科書』で挙げた、日本併合前の朝鮮半島がどのような国だったのかを再度挙げてみましょう。

併合前の朝鮮は――


・国王や王妃の贅沢三昧と売官汚職
・管理の収奪と横領
・不正と拷問の巣窟の司法
・農民の自衛のための怠惰
・両班の農民支配と搾取
・働かず納税せず兵役につかない両班
・強固な身分差別と物としての奴婢
・農業と家内工業だけの産業
・金融機関の絶無と貨幣の紊乱
・儒学と漢文だけの書堂(貴族の書斎)での教育
・鉄道と港湾は無く
・人と牛馬しか通れない道路
・幼稚な商業
・電力・通信の絶無
・不衛生な生活環境と伝染病の流行
・悪臭と汚物と狭い道と家が密集したソウルや釜山
・草木が全て刈り取られた禿山
・迷信と巫女が頼りの病気治療
・風水地理説などの迷信の蔓延
・度重なる飢饉での餓死者の放置

――など、絶望的な悲惨な状態の王朝であった

⇒参照・引用元:『韓国の歴史教科書』著:徳田克,三省堂書店/創英社,2022年05月22日 初版発行,p.2
引用者が箇条書きのスタイルにしました。

李氏朝鮮はこのような国でした。しかるに南基正(ナム・キジョン)教授は、「主体的に近代国民国家形成のための思想と運動があった」などと言うのです。

『帝国の申し子』のカーター・J・エッカート先生の言葉を再度以下に引きます。

(前略)
結局、萌芽を唱える学者たちの努力は、オレンジの果樹園で夢中になってリンゴを探すのに似た空しいものである。

朝鮮に独自の産業革命が起こっていたかどうかを証明する方法などありえない。

それなのに、彼らはなぜそんなに自説に固執するのか。

歴史的に見て、資本主義の萌芽が李朝にあったという事実が重要になるのは、偏狭なナショナリズムを正当化するときだけである。

そのような偏狭な考え方が第三者の興味をそそるはずはなく、朝鮮の歴史ともほとんど関係がない。

起こったかもしれない」などという仮定の話に答えは決して見つからないが、「実際に起こったこと」に関しては歴史がはっきりと証明している。

朝鮮における近代的な工業技術は外国からもちこまれたのであって、国内で生み出されたものではない。
(後略)

⇒参照・引用元:『日本帝国の申し子』著:カーター・J・エッカート,訳:小谷まさ代,草思社,2004年01月30日 第1刷発行,p26

この南基正(ナム・キジョン)教授はまさに偏狭なナショナリズムから歪曲した話をしているだけです。事実に基づいた議論ができない学者にいったいなんの存在意義があるのでしょう。

『毎日経済』は「韓国の経済発展は植民支配のおかげ? 日本の専門家が指摘する真実は」などというタイトルを付けていますが、この記事を読んで「真実が分かる」と本当に判断しているのでしょうか。

(吉田ハンチング@dcp)

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