韓国メディア『中央日報』に興味深い記事が出ています。
韓国は輸出でもっており、貿易収支(輸出 – 輸入)が十分に大きくなければ経常収支を黒字にすることができません。経常収支が赤字でも莫大なお金が流れ込んでくるというアメリカ合衆国でもあれば別ですが、韓国はそうはいきません。
その肝心の貿易収支はMoney1でもご紹介しているとおり、減少しています。この減少分を外国からの融資で埋め(ファイナンスし)、その後(資金が急速に引き上げられて)返済できなくなると――またドボン騒動になります。
現在、韓国が陥っているのは「輸出が拡大せず、貿易でもうけられなくなってきた」という構造的なジレンマに他なりません。
朴正煕(パク・チョンヒ)大統領以来の「輸出で国を富ませる」戦略が行き詰まりを見せている、といってもいいので、最近韓国メディアでも「韓国がもう一段階飛躍するには」といった記事が出るようになっています。
本当にそんなことができるのかどうかは疑問ですが、『中央日報』の記事から一部を以下に引用してみます。
世界最貧国から経済力10位の国家に浮上した過去70年余りの韓国経済は、奇跡を成し遂げたという。
しかし、韓国経済の未来への懸念が今濃くなっているのも事実だ。
(中略)
どんな国でも、その国の経済は経済的基盤と経済外的基盤という二つの柱の上で成長、発展していく。
経済的基盤は、人的・物的資源、生産施設、産業技術、道路港湾などのインフラ、金融システム、財政税制、経済政策の枠組みを含む。
経済外的基盤とは、その社会の知識水準、意思決定構造の合理性、文化と気風、市民意識、国家ガバナンス、社会的信頼、指導層の能力と道徳性、司法制度の公平性、政治、言論文化などを包括する。
1960年代まで韓国経済は世界最貧国に属していたが、当時韓国の経済的基盤や経済外的基盤は韓国より所得が高かったアフリカ諸国や近隣東南アジア諸国よりはるかに先にあった。
韓国は少なくとも1,500年にわたる中央執権的行政制度を備えてきた国であり、高い学問的伝統を続けてきた国だ。
(後略)
この記事の書き手は、趙潤済(チョ・ユンジェ)『西江大学』名誉教授で『韓国銀行』金融通貨委員でもある人です。
韓国は最貧国から世界10位のGDPを誇るところまで来た――まあここはいいでしょう。
国が経済的に発展するには、経済的基盤と経済外基盤が必要である――と指摘していらっしゃいます。まあ、そうかもしれません。
60年代半ばまで、韓国は最貧国の一つであったものの、所得が多い諸国より「経済的基盤や経済外的基盤は、韓国がはるか先をいっていた」と自信を持って書いています。
韓国の経済的基盤、経済外基盤は最貧国の時代も素晴らしいものだったと自画自賛していますが……。
それは独力でなしたものではありません。「その自信を与えてくれたのは日本なのだ。感謝するのだな」――です。
経済的基盤として挙げている、
人的・物的資源
生産施設
産業技術
道路港湾などのインフラ
金融システム
財政税制
経済政策の枠組み
この全ては、朝鮮半島併合時代に日本が移植したものです。
産業革命・近代に必要な要素は全部日本が与えました。
物的資源が地下資源だけを指すなら外してもいいですが、そもそも朝鮮半島にはタングステン※以外に、輸出するに足る有力な地下資源などありませんでした。
「韓国は少なくとも1,500年にわたる中央執権的行政制度を備えてきた国であり、高い学問的伝統を続けてきた国だ」と述べていますが、1,500年(?)のうち、現代につながるクリティカルなポイントは日本によって併合された「36年間」だけだったと言っても過言ではありません。
併合前の李氏朝鮮のどこに現代につながる近代があったというのでしょうか。
日本からの資本・技術の移植がなければ今の韓国は世界10位のGDPの国になどなってはいません。
事実、日本がすっかり手を引いた1945年以降、あの日本が大嫌いで「親日清算」を言い出した李承晩(イ・スンマン)初代大統領ですら、朝鮮総督府で働いていた官僚を使い続けばければ行政を回すことはできませんでした。
当たり前の話です。
松本厚治先生の著作から、宋建鎬(ソン・ゴンホ)さんの指摘を孫引きすれば以下のような具合です。
「40年代前半期の植民地朝鮮の主役が、後半期の独立宣布後も相変わらず新しい国の舞台で主役を演じるようになった。
形式的に見ると独立国となって出発したので、大きな変化があったはずだが、実は日帝に迎合した者が米軍政に参与し、新国家建設に一役買っていた。
人的構成面では実質的な変化は見られず、40年代前半期の歴史線上にそのまま新しい国を建設したと見ざるを得ない」(宋建鎬[1984]p.6)
⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,p71
※宋建鎬(ソン・ゴンホ)さんは『東亜日報』の編集局長を務め、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の独裁政権と戦った「言論の自由運動の象徴的存在」といわれる人です。
併合時代に「近代国家を回るに足る人材」をいかに日本が育成したのかの証明です。
つまり、人的資源も日本産といっていいのです。その人たちが現在の韓国につながる独立後を支えたのです。
人的資源だけではありません、近代法、根本となる土地の私有制度など、ありとあらゆる社会基盤は日本から持ち込まれたものです。
ソフトウエアだけではなく、そもそもお金、資産がそうです。
朝鮮戦争前には、日本が朝鮮半島に残した(そして国際法違反でアメリカ合衆国に接収された)資産だけが韓国の財産でした。
朝鮮戦争後には合衆国からの支援、1965年の日韓協定によって日本から投入された資金と技術が基盤となりました。
「奇跡」などと書いていますが、日本があって初めて成し得た成果であることを忘れてはならないでしょう。
(吉田ハンチング@dcp)